つくばねの みねよりおつる みなのがは こひぞつもりて ふちとなりぬる
和歌 (百人一首13)
筑波嶺の 峰より落つる 男女川 恋ぞつもりて 淵となりぬる
陽成院 『後撰和歌集』
歌意
筑波嶺の峰から落ちる男女川のように、私の恋心も積もり積もって、淵となってしまった。
作者
作者は「陽成院」です。
清和天皇の皇子で、母は藤原高子です。
藤原高子……どこかで……
『伊勢物語』の第六段に出てきますね。
ああ~。
「芥川」に登場していたね。
なお、『後撰和歌集』では、この歌の「詞書」に、「釣殿の皇女につかはしける」とあります。
「釣殿の皇女」というのは、光孝天皇の皇女である綏子内親王のことです。のちに陽成院の后となりました。
后にしたい人に対しての熱烈なラブレターだったわけだね。
そうですね。
この「筑波」に陽成院が実際に行ったわけではなさそうですが、都から遠い地を歌の舞台にすることで、「心に秘めていた強い思い」を吐露しているように聞こえますね。
ああ~。
心の奥のほうで思い続けていたんだよ的な演出に「筑波」という場所が一役買っているね。
常陸国は、当時の感覚としては東国のはてですからね。
世界の片隅で愛を叫ぶみたいな感じだな。
熱烈だね。
陽成院は、乱心していたとも言われていて、犬と猿をけんかさせたり、奇行が目立った人とも言われています。
あるとき宮中で起きた殺人事件の関与を疑われて、おじいちゃんである藤原基経に退位させられてしまいました。事件関与の真偽は不明です。
ただ、その後は太政天皇と呼ばれて、とても長生きしました。上皇としての立ち位置を65年ほど続けます。
ポイント
筑波嶺の
「筑波嶺」は、常陸国(いまの茨城県)の「筑波山(の山頂のほう)」のことです。
「筑波山」は、山頂が「男体山」と「女体山」に分かれている山です。
そこでは古くから、歌垣が催されました。歌垣は、男女が集まり神を祀るイベントで、男女の交歓の場でもありました。
峰より落つる
「峰」は、先に出てきた「嶺」とほぼ同じ意味ですので、重ね言葉のようになっています。
どちらも山頂のほうを意味しますので、「男女川」が筑波山のとても高いとこから流れているということになりますね。
今ならロープウェイで山頂駅まで行くと、そこから歩いて行けるところに「源流」があります。
男女川
「男女川」は、筑波山から南側に流れていく川です。
「水無川」とも書くこともありまして、文字通り水量はそれほど多くない川とされています。
現在の「つくば市」で「桜川」に合流し、最終的に「霞ヶ浦」に流入します。
日本で琵琶湖の次に大きい湖だな。
実際に行ってみると、もうほとんど海ですね。あれは。
なお、ここまでが「序詞」です。
恋ぞつもりて
男女川を落ちていく「恋」が積もり積もってということですね。
江戸時代には歌人の香川景樹という人が、「こひ」には「水」の意味もあるとしたのですが、そうであれば「掛詞」になりますね。
係助詞の「ぞ」がありますね。
淵となりぬる
「なり」は四段動詞「なる」の連用形です。
「なり」というひらがなの識別についてはこちら。
「ぬる」は「完了」の助動詞「ぬ」の連体形です。
係助詞の「ぞ」があるために、結びが連体形になっています。
「淵」っていうのは、水が深くなっているところだよね。
そうです。
流れがよどんで、水が深まっているところですね。
浅いところを意味する「瀬」と対になることばです。
「恋心がそこに流れて集まって、深い淵になっちゃったよ」ってことなんだな。
熱烈だね。
熱烈ですね。
後撰和歌集では「なりける」となっていますが、百人一首では「なりぬる」となっています。
過去(詠嘆)の助動詞「けり」を使うと、「恋がつもって淵になった」ことに「はっと気がついた」というニュアンスですが、完了の助動詞「ぬ」を使うと、「確かに積もってしまった」というように「確かさ」を確認するようなニュアンスがあります。
どちらも味わい深い表現ですが、そういう点では「なりぬる」のほうが、「恋心の確かさを深く自認している」ような雰囲気が出ていますね。