わたる【渡る】 動詞(ラ行四段活用)

移動!! あるいは範囲拡張!!

意味

(1)(向こう側に)渡る

(2)移動する・通る・行く・来る

(3)いきわたる・(広く)通じる

(4)経過する・(時を)過ごす・送る

補助動詞で・・・

(5)一面に~する・広く~する

(6)ずっと~する・~し続ける

「わたりたまふ」「わたらせたまふ」のかたちで・・・

(7)いらっしゃる・おいでになる・あられる *中世以降の用法

ポイント

もともとは水上を移動して、水面で隔てられた向こう側に移動することに用いられました。

中古では、水上に限らず、地面や空中を移動することにも広く用いられるようになります。

類義語「わたす」のほうは、中古になっても「水上」を移動することにほぼ限定されます。

「わた」が「海」を意味していたわけだから、「水の上を移動する」みたいな意味で「わたす」や「わたる」を使ったのかな。

語源はわからないのですが、川などの「水によって隔てられたところ」の「対岸」に移動するという意味でよく使いますので、もともと「水」に深く関係していたとは思います。

「わたる」は、わりと早い段階で、「人が地面を移動すること」とか「鳥が空を移動すること」とかにもよく使われましたし、「時間が移動する」というイメージで「(時を)過ごす・送る」という意味でも使われました。

ああ~。

そうすると、物理的な移動だけを表すのではなくて、ばくぜんと「人生を過ごす」みたいな意味でも使うんだろうね。

そうですね。

そのため、「わたりたまふ」とか「わたらせたまふ」といった場合、「世をお過ごしになる」みたいなニュアンスで「いらっしゃる」「あられる」などと訳すこともありますね。その場合の「わたる」は、ほぼ「あり」と同義ですね。

ふむふむ。

ただ、実際に古文を読んでると、「○○わたる」っていう表現が多いよね。

たしかに補助動詞の使い方が多いですね。

空間的な現象に使用しているなら、「一面に~する」と訳しましょう。「わたる」をそのままつけておかしくない現象であれば、そのまま「~わたる」と訳してもOKなのですが、記述問題などで問われているのであれば、「一面に~」をつけておいたほうが無難です。

時間的な現象に使用しているなら、「ずっと~する」と訳しましょう。

ああ~。

「(花が)咲きわたる」なら、そのまま「(花が)咲きわたる」と訳してもいいはずだけど、記述問題などであれば、「花が一面に咲く」と訳したほうがいいということなんだな。

そうですね。

あわせ技にして、「花が一面に咲きわたる」としてもOKです。

例文

「はや舟に乗れ、日も暮れぬ」と言ふに、乗りてわたらむとするに、(伊勢物語)

(訳)(船頭が)「早く舟に乗れ、日も暮れてしまう」と言うので、乗って渡ろうとするが、

火などいそぎおこして、炭もてわたるも、いとつきづきし。(枕草子)

(訳)火などを急いでおこして、炭をもって(廊下を)移動する様子も、たいそう(冬の朝に)ふさわしい。

このいましめ、万事にわたるべし。(徒然草)

(訳)この教訓は、あらゆる事に広く通じるにちがいない。

日を消し、月をわたりて一生を送る、もっとも愚かなり。(徒然草)

(訳)日をついやし、月を送って【過ごして】一生を送るのは、実に愚かなことである。

所々はうちこぼれつつ、あはれげに咲きわたれり。

(訳)(撫子の花が)所々は散り落ちながら、しみじみと趣き深い様子で一面に咲いている。

一面に咲きわたっている

と訳してもいいですね。

女のえ得まじかりけるを、年を経てよばひわたりけるを、(伊勢物語)

(訳)女で、自分のものにできそうになかった人を、年月を経て【何年も】ずっと求婚していたのを、

ずっと求婚しつづけていた

と訳してもいいですね。

いづくよりわたり給ふ道心の御坊にや。(おくのほそ道)

(訳)どちらからいらっしゃる【おいでになる】仏道修行のお坊様だろうか。

高倉の宮の御子の宮たちのあまたわたらせ給ひ候ふなる。(平家物語)

(訳)高倉天皇のお子様の宮たちが大勢いらっしゃる【あられる】そうです。

「わたりたまふ」「わたらせたまふ」という表現で、「あり」の尊敬語のような用い方をします。

中世からの用法ですね。