『大鏡』より、「行成の器量」「行成とこま」の現代語訳です。
「行成」は「藤原行成」のことです。
能書家のなかでも特に名のある人物として、小野道風・藤原佐理・藤原行成を「三蹟(三跡)」といいます。
「三蹟」は、当時の文章だと「三賢」といわれています。
空海・嵯峨天皇・橘逸勢の「三筆」っていうのも日本史で出てきたね。
出てきましたね。みなさん、たいへんな名人です。
さて、「藤原行成」のお父さんは「義孝」で、そのお父さんが「伊尹」です。
「伊尹」の娘である「懐子」は「冷泉天皇」の女御であり、のちの「花山天皇」の母でありますので、「花山天皇」と「行成」はいとこ同士ということになります。
このお話での「帝」は「後一条天皇」であり、このときの「行成」は「権大納言」です。
すこし至らぬ事にも、~
すこし至らぬ事にも、御魂深くおはして、らうらうじうしなし給ひける御本性にて、帝幼くおはしまして、人々に、「遊び物ども参らせよ」とおほせられければ、さまざま黄金・白銀など心を尽くして、いかなる事をがなと風流をし出でて、もて参りあひたるに、この殿は、こまつぶりに村濃の緒をつけて、奉りければ、
(藤原行成)少し不得意な事にも、生まれ持っての才能が深くいらっしゃって、巧みに【才たけて】実行なさるご性質で、帝【後一条天皇】が幼くいらっしゃって、人々に、「遊び道具などを献上せよ」とおっしゃたので、(人々は)あれこれ金や銀など(のおもちゃ)と心を尽くして、どのような事でもしてさしあげたいと趣向を凝らして作り出して、持って献上しあったが、この殿【行成】は、こまに村濃【濃淡のある染め方】の紐を添えて、献上なさったところ、
「あやしの物のさまや。~
「あやしの物のさまや。こはなにぞ」と問はせ給うければ、しかじかの物になむと申し、「まはして御覧じおはしませ。興ある物になむ」と申されければ、南殿に出でさせおはしまして、まはさせ給ふに、いと広き殿のうちに残らずくるめき歩けば、いみじう興ぜさせ給ひて、これをのみ常に御覧じ遊ばせ給へば、こと物どもは籠められにけり。
(帝は)「不思議な物の様子だな。これは何だ。」とお尋ねになったので、(行成は)これこれの物で(ございます)と申し上げて、「回してごらんなさいませ。おもしろいもので(ございます)」とおっしゃったので、(帝は)南殿【紫宸殿】にお出ましになって、(こまを)お回しになったところ、(こまは)たいそう広い御殿の中を、隅々までくるくる回ってあちこち行くので、(帝は)並々でなくおもしろがりなさって、これ【こま】ばかりを常にご覧になってお遊びになるので、ほかの物【遊び道具】はしまいこまれてしまった。