気持ちがカオスで病気になる
意味
(1)思い悩む・思い苦しむ・困惑する
(2)病気になる・病で苦しむ
(3)苦労する・難儀する
(4)~しかねる・~するのに苦しむ *補助動詞として
ポイント
もともと、「精神的な困惑」を意味します。
それが「身体的な不調」で用いられれば「病気になる」などと訳し、「困惑を伴う行為」に用いられれば「苦労する・難儀する」などと訳します。
「なやむ」と意味が似ているんだね。
結果的にはほぼ同じ意味になります。
ただ、「なやむ」がもともと「身体的な苦しみ」を意味していることに対して、「わづらふ」のほうは、「精神的な苦しみ」を意味していたものが、やがて「身体的な苦しみ」も意味するようになっていった語です。
その点で意味の生成過程がちょっと違います。
「わづらふ」は、まずは気持ちが凹んでいるということで、それが「病気」も意味するようになったんだね。
「病は気から」っていうもんな。
「なやむ」は「なやまし」、「わづらふ」は「わづらはし」という形容詞にもなっていきますが、この「形容詞」でいうと、もともとのニュアンスによる意味の違いが多少あります。
「なやまし」は「具合が悪い」「難儀である」ということで、どちらかというと「身体面・物質面」のことを意味しやすく、「わづらはし」は、「いやだ・つらい」ということで、主に「精神面」のことを意味します。
ふむふむ。
古文の試験としては、「なやむ」も「わづらふ」も、「病気になる」という意味がけっこう出題されますね。
反対に「病気が治る」という意味で用いられる「おこたる」をセットで覚えておきましょう。
例文
身の後には金をして北斗をささふとも、人のためにぞわづらはるべき。(徒然草)
(訳)死後、黄金で北斗星をささえる(ほどの遺産があった)としても、(遺された)人にとっては苦しく思われるだろう。
にはかに煩ふ人のあるに、験者求むるに、(枕草子)
(訳)急に病気になる人がいるときに、(祈祷してくれる)修験者を探すが、
今日、川尻に舟入りたちて、漕ぎ上るに、川の水干て、悩み煩ふ。(土佐日記)
(訳)今日、河口に舟が立ち入って、こぎ上るが、川の水が干上がって【少なくなって】、苦労し難儀する。
ここでの「なやむ」と「わづらふ」は、ほぼ同じ意味で並列的に用いられています。
いかにして 過ぎにしかたを 過ぐしけむ 暮らしわづらふ 昨日今日かな (枕草子)
(訳)どうやって、(あなたがいない)過去の日々を過ごしていたのだろう。(あなたがいないと)暮らしかねる【日々を過ごすのに苦しむ】昨日今日だなあ。
補助動詞として使用する場合、
~しかねる
~するのに苦しむ
などと訳しましょう。