「児のそら寝(ちごのそらね)」を用いて、動詞の活用する行について確認しておきましょう。
文中での活用形は6割が連用形
まず、古文の動詞は、文中では多くの場合「連用形」になっていることを認識しておきましょう。
「未然形」「連用形」「終止形」「連体形」「已然形」「命令形」という6つの活用形がありますが、文中の動詞の6割程度は「連用形」になります。
「連用形」ばっかりなんだな。
6割を「ばっかり」と言っていいかどうかは何とも言えませんが、6つの活用形のなかで圧倒的に多いのはたしかです。
学校では「終止形」を「基本形」として教えますが、実際には文中での「終止形」の登場回数は1割程度なんですね。
そういうこともあって、『岩波古語辞典』は、「連用形」で動詞を引けるようになっているんですよ。
そんな辞書もあるんだ!
ただ、6割が連用形と言っても、4割は違う活用形なのですから、「判別」をしなければなりませんね。
まずは、「このことばの直前にあったら連用形」という「お決まりのつながり」を覚えてしまいましょう。これを覚えておくと楽になりますよ。
動詞が、
たり
けり
て
などにつく場合、活用形は「連用形」になる。
花 咲き たり
雪 降り けり
手に 据ゑ て
「けり」とかの直前は「連用形」になっているということだな。
そうです。「ける」とか「けれ」になっていることもあるので、注意が必要です。
覚えたぞ。
でも、どうして「活用する行」の話なのに、「活用形」の話から始まるんだ?
まあ、もうちょっと聞いてください。
文中の動詞を発見したときに、それが「連用形」であることがわかると、「活用する行」を判断しやすくなります。
次の法則を意識してください。
この法則に当てはまらない動詞が20個ほどあるのですが、それはあとまわしです。
「咲きたり」の「咲き」であれば「咲く」
「降りけり」の「降り」であれば「降る」
といった感じだな。
そうです。
「咲き」の終止形は「咲く」で、「降り」の終止形は「降る」です。
なお、「据ゑ」の終止形は「据う」です。「すう」と読みます。
なるほど、「u音」にすれば「終止形」になるんだな。
そうです。
例外の動詞が20個くらいありますが、ほとんどの動詞は、「連用形」の語尾を「u音」にすると「終止形」になります。
このときの活用していく「行」が「活用行」です。
「咲く」なら「カ行」
「降る」なら「ラ行」
「出づ」なら「ダ行」
「据う」なら「ワ行」
になります。
「ク行」とか「ヅ行」とは言わないんだな。
五十音図でいう先頭の段、つまり「あかさたなはまやらわ」で表します。
ついでに言っておくと、テストで「活用行」を記せ、と問われたら、特に何も指示がなくても「サ行」とか「タ行」といったように「カタカナ」で記してください。
「特に指示がなくても、活用行はカタカナで書く」というのが国語試験界の暗黙の了解です。
そういう暗黙の了解にはつくづく納得できないけど、まあそういうことなら従っておこう。
ただ、「据う」が「ワ行」というのが理解できない。
「あいうえお」の「う」で「ア行」ではないのか?
いい質問が来たので、五十音図を見ておきましょう。
あいうえお
かきくけこ
さしすせそ
たちつてと
なにぬねの
はひふへほ
まみむめも
やいゆえよ
らりるれろ
わゐうゑを
ん
注意するところは「やいゆえよ」の「ヤ行」と「わゐうゑを」の「ワ行」ですね。
そうか!
「据う」の「う」は「わゐうゑを」のほうの「う」なのか!
だからこそ、連用形が「据ゑ」になっていたのですよ。
でも、テストのときに、
連用形の「据ゑ」に傍線が引かれていたら「ゑ」だから「ワ行」ってわかるけど、
終止形の「据う」に傍線が引かれていたら、「う」だから、「ア行」か「ワ行」かわからないぞ。
そういった混乱をする生徒はとても多いです。
そこで、次の事情を覚えておきましょう。
古文の動詞で、ア行で活用する単語は非常に少ない。
得(う)
心得(こころう)
所得(ところう)
くらいですね。
「得(う)」と「心得(こころう)」と「所得(ところう)」か……。
結局ぜんぶ「得(う)」じゃないか!
そうです。
「ア行」で活用する動詞は「得(う)」だけ覚えておけばよいです。
たとえば、
「据う」
「植う」
「飢う」
といった動詞がありますが、これらはすべて「ワ行」です。
現代語だと、「言う」とか「食う」とか「笑う」とか、「ア行」で活用する動詞がたくさんあると思うんだけど、古文にはないんだな。
「言う」「食う」「笑う」などは、現代語では「ア行」とか「ワア行」と言いますね。
そういった動詞は、古文ではどれも「ハ行」です。
「言ふ」「食ふ」「笑ふ」ですね。
「ふ」と書いてはいますが、「う」と呼んでいたので、明治時代に表記のうえでも「う」になっていきました。
「笑ふ」が「笑う」になったのは、最近なんだな。
1000年単位で「笑ふ」と書いていたわけですからね。
「笑う」なんて100年ちょっとですよ。
「笑ふ」に比べたら幼児ですよ。
「ア行・ヤ行・ワ行」に注意
笑ひて、(わらひて、)
得て、(えて、)
覚えて、(おぼえて、)
という表現があるとします。
「て、」の直前の動詞は「連用形」なので、「わらひ」「え」「おぼえ」はどれも「連用形」です。
では、「わらひ」「え」「おぼえ」を「終止形」にすると、それぞれどうなるでしょうか?
「連用形」の語尾を「u音」にすればいいのだから、
わらふ
う
おぼう
だな。
「わらふ」と「う」は正解です。
しかし、「おぼう」は不正解です。
「おぼえ」の終止形は「おぼゆ」になります。
「笑ひて」の「わらひ」の終止形は「わらふ」
「得て」の「え」の終止形は「う」
「覚えて」の「おぼえ」の終止形は「おぼゆ」……
なんと、
「おぼえ」の「え」は、「あいうえお」の「え」ではないのか!?
ええ。
先ほどの繰り返しですが、「ア行」は「得」だけだと考えておきましょう。
「心得」「所得」といった動詞もありますが、結局は「得」です。
その基本原則にしたがうと、「おぼえ」の活用行は「ア行ではない」ということになりますね。
「え」というひらがなは、「やいゆえよ」の「ヤ行」のもありますね。「おぼえ」の「え」は、こちらの「え」なのです。つまり、「おぼえ」は「ヤ行」で活用していることになります。
「ヤ行」の「u音」は「ゆ」ですから、終止形は「おぼゆ」になります。
だいたいわかってきたぞ。
では、「児のそら寝(宇治拾遺物語)」を利用して、いくつか確認しましょう。
児のそら寝
今は昔、比叡の山に児ありけり。僧たち、宵のつれづれに、「いざ、かひもちひせむ。」と言ひけるを、この児、心寄せに聞きけり。さりとて、し出ださむを待ちて寝ざらむも、わろかりなむと思ひて、片方に寄りて、寝たる由にて、出で来るを待ちけるに、すでにし出だしたるさまにて、ひしめき合ひたり。
緑字のところは、「直前が連用形になる目印」です。
したがって、青線の動詞は、「連用形」ということになります。
これらの語尾を「u音」にすれば「終止形」になります。
その時に使用している「行」が「活用行」になりますね。
この法則の例外が20個くらいあると言っていたな。
文中の動詞でいうと、「あり」がそうですね。
そういった動詞については、あとできっちり覚えてもらうので、今回はふれません。
あいよ。
では、後半です。
もう少し動詞の勉強が進まないと理解しにくいものは無視します。
この児、定めておどろかさむずらむと待ちゐたるに、僧の、「もの申し候はむ。 驚かせ給へ。」と言ふを、うれしとは思へども、ただ一度にいらへむも、待ちけるかともぞ思ふとて、いま一声呼ばれていらへむと、念じて寝たるほどに、「や、な起こし奉りそ。をさなき人は、寝入り給ひにけり。」と言ふ声のしければ、あな、わびしと思ひて、今一度起こせかしと、思ひ寝に聞けば、 ひしひしと、ただ食ひに食ふ音のしければ、ずちなくて、無期ののちに、「えい。」といらへたりければ、僧たち笑ふこと限りなし。
覚えておくと後が楽になる接続の法則
せっかくなので、「この表現があったら直前は〇〇形」という法則をあと少し見ておきましょう。
この児、定めておどろかさむずらむと待ちゐたるに、僧の、「もの申し候はむ。 驚かせ給へ。」と言ふを、うれしとは思へども、ただ一度にいらへむも、 待ちけるかともぞ思ふとて、いま一声呼ばれていらへむと、念じて寝たるほどに、「や、な起こし奉りそ。をさなき人は、寝入り給ひにけり。」と言ふ声のしければ、あな、わびしと思ひて、今一度起こせかしと、思ひ寝に聞けば、 ひしひしと、ただ食ひに食ふ音のしければ、ずちなくて、無期ののちに、「えい。」といらへたりければ、僧たち笑ふこと限りなし。
いろいろあって覚えられない。
いまここですべてを覚えることが大切なのではありません。
「あることば」があったら、その直前が「〇〇形」に決定する
という法則性があるということを認識しておきたいのです。
「〇〇形」というのは、結局、「続くことば」によって決まるのですね。
古文を一定数読んでいくと、上に示した法則は、やがて覚えていきますよ。
道のりは長い。
とりあえず、ひとつだけ補足説明して今日は終わりにします。
「とて」の直前は終止形
古文では、ふつうの文の「結び」の部分は終止形になります。
たいていは教科書にする際に句点(。)を打っていますから、句点(。)があったらそこが「結び」と考えればいいです。
ただし、句点(。)がない部分も「結び」になることがありますので、気を付けてください。
その代表が、「とて」の前です。
古文にはカギカッコ「 」がありませんから、「誰かが言ったこと」とか「誰かが思ったこと」とかにも「 」は書かれません。教科書などに載っている古文に「 」がついているのは、後世の人たちが読みやすいように勝手につけているだけなのですね。
ところが、この「 」は、「言ったこと」には付されやすいのですが、「思ったこと」には付されにくいのです。それどころか、「言ったこと」にも、すべてに「 」がついているわけではありません。
以上のことから、「 」がない部分に、「 」があるかのように読む必要が出てきます。
とて
があると、その直前が 」 の扱いになるということだな。
そのとおりです。
いったんそこが「結び」になっているので、そこは「終止形」になっています。
とて の他にも
(終止形)と思ひて
(終止形)と言ひて
(終止形)として
というように、「と」でいったん締めくくっている状態になっている場合、その直前は「結び」なので「終止形」です。
と の直後が「心情語」や「心情に直結する行為」になるパターンも多いですね。
(終止形)と泣きて
(終止形)と笑ひて
(終止形)とよろこび興じて
(終止形)と惑ひて
といったものです。
ほほう。
なんか最初のほうで、「文中に出てくる動詞が終止形になっているのは1割くらい」って言ってたけど、けっこう終止形も出てくるんだな。
「とて」などの直前が「終止形」というのはそのとおりなんですけど、古文の文章は、「結び」が「動詞」になるということは決して多くないのです。
どちらかというと、
行かむとぞ思ふ
行くべしとて
といったように、「助動詞」で結ばれることが多くなります。
また、「動詞」で結ばれる場合にも、
花ぞ咲くと思ふ
雨こそ降れと言へば
といったように、「係り結び」が起きていることによって、「終止形」ではなくなっているパターンもあります。
「とて」などの直前は「終止形」というのは、「係り結び」が起きている場合には無効です。
係り結びに注意
「係り結び」というやつがあると、「結び」は「終止形」ではないということか。
そのとおりです。
文中に
ぞ
なむ
や
か
という係助詞がある場合、「結び」は「連体形」になります。
こそ
という係助詞がある場合、「結び」は「已然形」になります。
このことは違う機会に詳しくやりましょう。
あいよ。
現代語訳
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