いとしもおぼえぬ人の、おし起こして、せめてもの言ふこそ、いみじうすさまじけれ。(枕草子)

〈問〉次の傍線部を現代語訳せよ。

 験者の、物の怪調てうずとて、いみじうしたり顔に、独鈷とこ数珠ずずなど持たせて、せみ声にしぼり出だしよみゐたれど、いささか去りげもなく、護法ごほうもつかねば、あつまりて念じゐたるに、男女あやしと思ふに、時のかはるまでよみ困じて、「さらにつかず。立ちね」とて、数珠取り返して、「あないとげんなしや」とうち言ひて、額より上ざまに、かしらさくりあげて、欠伸をおのれうちして、寄り臥しぬる。
 いみじうねぶたしと思ふに、いとしもおぼえぬ人の、おし起こして、せめてもの言ふこそ、いみじうすさまじけれ

枕草子

現代語訳

 修験者が、物の怪を調伏するといって、たいそう得意顔で、(物の怪を乗り移らせる「よりまし」と称する女性に)独鈷や数珠などを持たせて、蝉のような声をしぼり出して(経を)読んで座っているが、(物の怪は)少しも退散する様子ではなく、(「よりまし」にとりつくと物の怪が退散するという)護法童子も乗り移らないので、(周辺の関係者が)集まって祈念して座っていたが、(そこにいる)男も女も変だと思っていると、(修験者は)刻限が変わるまで(経を)読んで疲れて、「まったく(護法が)つかない。立ってしまえ」といって、(よりましから)数珠を取り返して、「ああ、まったく効果がないよ」と言って、額から上の方に、頭を【髪を】かき上げて、あくびを自分からして、(ものに)寄りかかって寝てしまう。
 たいそう眠たいと思うときに、たいして(眠いと)感じていない人が、揺り起こして、無理に話しかけるのは、たいそう興ざめである

ポイント

いと 副詞

「いと」は副詞です。通常の場合、「たいそう」「とても」などと訳します。

ただし、ここでは、強調表現の「しも」をもつ否定文に使用されています。

「しも」を伴う否定文は、文全体を否定しているのではなく、「しも」の直前の語を限定的に否定していると考えるとよいです。

すると、ここでは「いと」が否定されていることになります。

つまり、「とても眠いと思っているわけではない人」といった意味合いになります。

しも 副助詞

強調の副助詞「し」に、係助詞「も」がついて、いっそう強調の度合いが強まったものです。

平安時代には「し」以上に使用されるようになりました。文法的には「しも」で一語の副助詞とみなします。

肯定文に使用されている場合は、ほとんど「強調」の意味であり、訳出しなくても問題はありません。

ただ、「~に限って」「特に~」「とりわけ~においては」などのように、「特別」のニュアンスを込めて訳すこともあります。

前述したように、「否定文」で用いられている場合には、「しも」の直前の語を限定的に否定しているパターンになります。

おぼゆ 動詞(ヤ行下二段活用)

「おぼえ」は、動詞「覚ゆ(おぼゆ)」の未然形です。

「自然と思う」「思われる」「感じられる」などと訳します。

終止形の語尾が「ゆ」になる動詞は、「自然とそうなる」というニュアンスを含んでいるので、「思う」というよりは「ふと思われる」という感じで訳すことが多いです。

ただ、この例文のように、「しも」があったり、否定文であったりすると、「思われる」「感じられる」などという訳し方がフィットしない場合があります。そういうときはシンプルに「思う」と書いておいて問題ありません。

ず 助動詞

「ぬ」は、打消の助動詞「ず」の連体形です。

せめて 副詞

「せめて」は副詞です。

いて」「無理に」「切実に」などと訳します。

動詞「迫む(せむ)」が副詞化したものです。

「迫っていく様子」を意味していますので、「強いて」などの訳になります。

いみじ 形容詞(シク活用)

「いみじう」は、形容詞「いみじ」の連用形「いみじく」のウ音便です。

形容詞「いみじ」は、次の3パターンのいずれかの意味になります。

①「すばらしい」  *「良さ」が並々でない
②「ひどい」    *「悪さ」が並々でない
③「はたはだしい」 *「程度」が並々でない

ただ、連用形「いみじく(いみじう)」のかたちになっているものは、たいてい③であり、「たいそう」などと訳します。

この例文でも、「たいそう」と訳しておくのがいいですね。

すさまじ 形容詞(シク活用)

「すさまじけれ」は、形容詞「すさまじ」の已然形です。

「勢いにまかせて荒れる物事」に対して、「ふさわしくないなあ」としらけてしまう心情を意味する語で、「興ざめだ」などと訳します。

係助詞「こそ」があるので、係り結びの法則により、已然形になっていますね。