べし 助動詞 ― 常識的に考えて/論理的に判断して ―

多様な文法的意味

助動詞「べし」は、意味がいくつもいくつもあって、見分けるのが大変なんだよ。

「べし」はたいへんですよね。

文法書は、少ない場合でも、「推量」「意志」「可能」「当然」「命令」「適当」の6つに分けています。

多ければ、これに「義務」「予定」「勧誘」などが加わって、9くらいになりますね。

なんとかできないのかこれは。

まあ、まずは「核」といいますか、根本的なニュアンスをおさえてしまいましょう。

「べし」は、もともと「うべ」に「し」がついて「うべし」となり、やがて「う」が取れて「べし」になったものです。

「うべ」は、「肯う(うべなう)」の「うべ」でありまして、「当然そうである」という意味合いです。

「核」となる意味は「当然」

じゃあ、根本的な意味は「当然」なんだな。

そうですね。

根本的な意味は「当然」です。

「べし」は、「常識的に考えて当然そうなる」とか「論理的に判断すると当然そうである」という気持ちを含んでいる助動詞なのです。

そのため、「~はず」「~に違いない」などと訳せるものは、「当然」と考えてかまいません。

じゃあ、「花咲くべし」という文を、「花が咲くはずだ」とか「花が咲くに違いない」と訳す場合は、「当然」と考えるんだな。

はい。

ただ、「当然」というからには、前提として強い根拠がほしいですね。

そういうものがはっきり書かれていない場合は、「強さのレベル」を落として「推量」と考えるのが自然です。すると、「花が咲くだろう」と訳すことになります。

「レベル」とか言われてもわかんないんだよ!

それももっともです。

そのため、「べし」の文法上の意味を問う問題は、「推量」でも「当然」でも○とか、「適当」でも「当然」でも○とか、「命令」でも「適当」でも○とか、そういったものが多くなるんですね。

さきほど9くらいの「意味」がありましたけれども、多くの場合は、「そのうちの2つが正解として認められる」というものになりがちです。

とはいえ、試験問題になる以上、「妥当に考えるとこの一つに絞られる」というケースもありますので、今回は「こうこうこう考えてこの一つに絞る」という思考回路を見ておきましょう。

たのんだぞ。

活用・接続

いったん、活用を見ておきましょう。

助動詞「べし」の活用です。

未然形 連用形 終止形 連体形 已然形 命令形
べ く/べ く/べ し/べ き/べけれ/ ○
べから/べかり/ ○ /べかる/ ○ / ○


通常の文法書は縦書きですので、ここでの「二列目」にある活用は「左側」に来ることになります。

一列目(縦書きなら右側)にくる活用が本来の活用ですが、下に助動詞が接続するときには、「べくあり」がつまった二列目(縦書きなら左側)の活用を用います。

この「下に助動詞が接続するときの活用」を、「補助活用」とか「カリ活用」などと呼びます。

接続(直前の語の活用形)は基本的に「終止形」です。

ただし、「あり」などの「ラ変型の活用語」の場合、「連体形」につきます。

これは単純にいうと、「べし」は「ウ段(u音)」にしかつかないということです。

活用を覚えるのはたいへんだけど、「べき」や「べかり」を文中で見かけたときに、「ああ、これは『助動詞べし』が活用したやつなんだな」ということはなんとかわかる。

そこまでいけば大きな前進です。

では、意味の区別をしていきましょう。

理由付きの「べし」/常識的判断の「べし」

さきほど少しふれましたが、「べし」の根本的な意味は「当然」です。

「強い根拠」とか「常識」とかを前提として、「理屈で考えたら当然そうなる」ということに「べし」を使用します。

そのため、「べし」がある場合というのは、その少し前に「~已然形+ば」などの「前提的根拠」が書かれていることがけっこうありますね。

そういうものが書かれていないときは、「常識」とか「世の習い」などを根拠にして、「~べし」と判断していることが多いです。

ふむふむ。

「こうだからこうでしょ」とか「普通こうでしょ」っていうことなんだな。

ただ、実際の試験では「当然」が選択肢にないことも多いです。

ズコー!

どういうことだ!!

端的にいうと、「当然」で解釈できてしまう例文が多いからです。

「当然でも適当でもOK」「当然でも推量でもOK」「当然でも命令でもOK」などといったようなものが多いので、「当然」を不正解にしにくくなってしまうのですね。

ああ~。

それじゃあ試験にならないってことか。

そんなわけで、こういう場合には、「当然」ではなくて、他の意味で取っておいたほうがいいですよ、というパターンを述べます。

パターンがあるのか。

ぜひ進めてくれ。

「意志(一人称)」「適当・命令(二人称)」「推量(三人称)」

文末用法として〉

私(一人称)の行為 ⇒ 意志(・決意)
あなた(二人称)の行為 ⇒ 適当・命令(・勧誘・義務)
第三者(三人称)の行為・自然現象 ⇒ 推量

と区別しておきましょう。

(私が)しよう ⇒ 「意志」

(あなたが)するとよい ⇒ 「適当」
(あなたが)せよ ⇒ 「命令」

(誰かが)だろう ⇒ 「推量」
(何かが)だろう ⇒ 「推量」

という感じだな。

そうです!

とにかく、

 句点(。)
 とて
 として
 と思ひて
 と言ひて
 など
 」
 。」


といった、「ここでいったん終了」のサインがあったら、その直前はいわゆる〈文末用法〉になりますね。本当の文末ではない場合もそこで文内文(文の中の文)が終わりますので、「みなし文末」として扱います。

そういうところにある「べし」は、便宜上「当然」とはせずに「一人称なら意志」「二人称なら適当か命令」「三人称なら推量」と分類してしまって大丈夫です。

なるほど。

〈文末用法〉なら、「当然」ではなくて「意志」「適当・命令」「推量」などと考えるんだな。

まあ本当は「当然」としてもいいケースは大量にあるのですが、学校で習う文法事情だと、

文末用法の一人称 ⇒ 意志
文末用法の二人称 ⇒ 適当・命令
文末用法の三人称 ⇒ 推量


という「考え方の決まり」があるので、それにしたがっておいたほうが試験での失点は防げますね。

ただし、当然のニュアンスが強いと、「義務(~しなければならない)」「予定(~することになったいる)」といった意味を正解の選択肢にすることもありますし、反対に当然のニュアンスが弱いと、「勧誘(~しよう)」を正解の選択肢にすることもあります。

また、「三人称」に用いている場合に「適当」で解釈して「あの人は~すればよかった」などと訳すこともあるので、上記の区分が「絶対」というわけではありません。あくまでも目安です。

ということは、〈二人称〉に用いる用法でいうと、

二人称 ⇒ 適当・命令・義務・勧誘・予定

ということになって、ややこしすぎるぞ!

気持ちはよくわかります。

実際には、「適当」と「勧誘」は意味がかぶっていますし、「命令」と「義務」「予定」は意味がかぶっていますから、「勧誘」「義務」「予定」などは項目として挙げていない文法書も多いです。

〈二人称〉の用法を整理しておくと、

(a)「下位の者」に対して指示しているのであれば「命令(義務・予定)」
(b)「対等の者」や「上位の者」に申し上げているのであれば「適当(勧誘)」

というかたちになりやすいと考えておきましょう。

ふう……

ひとまずここまでで

「当然」「推量」「意志」「適当」「勧誘」「命令」「義務」「予定」が出てきたな。

あと出てきていないのは……

「打消表現「反語表現」とセットになる「可能」

「可能」はどうしたんだ?

「可能」はやや特殊な使い方で、「一人称」「二人称」「三人称」にとらわれません。

「可能」の場合は、原則的に「打消表現」や「反語表現」とセットになって、まとまりとしては、「~できない」という訳になるときの用法です。

たとえば、「~べくもあらず」の「べく」の意味を問われた場合、「可能」と答えることが多くなりますが、その部分のまとまりとしては「~できない」と訳すことになります。

じゃあ、「ず」とか「なし」とか「かは」「やは」なんかといっしょに使われている「べし」は、「可能」と考えていいのかな。

その可能性はけっこう高いので、「できない」という訳し方をしてみて、文意がおかしくなければ「可能」としておいて大丈夫です。

注意点としては、「会話文」の中で、相手に指示するような文脈で「~べからず」と言っている場合には、「~しないほうがよい」「~してはならない」と言っています。その場合の「べし」は「適当」「命令」です。

また、最初のほうで述べたように、「べし」の根本は「当然」なので、「~べからず」「~べくもあらず」といった表現を、「~のはずがない」と訳すこともあります。

じゃあ、「~できる!」っていう肯定的文脈で「べし」を使うことはないのかな。

なくはないです。

ただ、使い方としては新しいものですし、用例も多くはありません。

試験問題の水準でいうと、肯定文で用いている「べし」を「可能」の意味でとる問題はめったにないですね。

体言に係る連体形「べき」は「当然」になりやすい

今までの考えだと、

①〈文末用法〉のときは「人称」によって「意志」「適当・命令」「推量」などに分かれる。

②「打消表現」「反語表現」とセットの場合は「可能」になりやすい。

というパターンを学んだけど、①でも②でもない場合はどんなときがあるだろうか。

①②以外で多いのは「~べき+体言」ですね。

基本的には、体言に係っていく「べき」は「当然」になりやすいです。

~はずの体言」「~に違いない体言」などと訳します。

これも人称によって「~つもりの体言」「~であろう体言」と訳して、「意志」「予定」「推量」などを正解とすることもありますが、これらは「意志でも当然でも取れる」「推量でも当然でも取れる」というケースが多いので、「体言」に係っていく「べき」は、まず「当然」で取ってみるのがいいと思います。

そもそも、現代語でも、

(a)あなたが行くべき講演会だ。

(b)ここに置くべき資料です。

とか、普通に使ってるもんね。

今いいことを言ってくれました。

現代語の「べき」は、一般的に「当然」の意味で使っていますよね。

ですから、「現代語の感覚」の「べき」がそのまま当てはまるものは「当然」の意味になります。

古文を読解していく際に、そのまま「~べき〇〇」とか「~べきだ」などと訳せるものは、「当然」と考えて大丈夫です。

(a)の「べき」は「義務」、(b)の「べき」は「予定」の意味だとする文法書もありますが、「義務」や「予定」という意味は、「当然」に内包される概念ですから、「当然」と解答しても正解です。

そうすると、たとえば「汝、明日もまた参り給ふべし」という会話文があったとして、これは〈二人称〉だから、「適当・命令」になるよね。

はい。

「適当」なら、「あなたは、明日もまたお参りになるのがよい」と訳します。

「命令」なら、「あなたは、明日もまたお参りなされ」などと訳します。

でも、これって、文脈によっては、

「あなたは、明日もお参りになるべきだ

って言えるんじゃないの?

言えます。

だからこそ前半で述べたように、選択肢からは「当然」を省くケースも出てきます。

予定・義務 > 当然・命令 > 適当・勧誘

さらにいうと、その「当然」の意味合いがさらに強まると、さきほど話に出てきた「義務」とか「予定」という意味で解釈する文法書もあります。

「強さ」の順番で言うと、次のような感じです。

〈とても強い〉 予定(~ことになっている)・義務(~なければならない)

〈 強 い 〉 当然(~はずだ・~に違いない)・命令(~せよ)

〈 弱 い 〉 適当(~がよい)・勧誘(~よう)

ててっ、てことは、

「汝、明日もまた参り給ふべし

における「べし」の意味を次から選べ。

ア 適当  イ 命令  ウ 当然  エ 義務  オ 予定  カ 勧誘

なんていう問題は成り立たないじゃないか!

はい。

成り立ちません。

その問題なら、選択肢は、

ア 推量  イ 適当  ウ 可能  エ 意志 

というようにすべきですね。

この場合の正解は「イ」です。

いや~。

「べし」の意味は多すぎるから、できるだけスリムにしてほしいなあ。

そのように考える文学博士もけっこういらっしゃいまして、中高生に教える水準で言えば、

「推量」「意志」「可能」「当然」「命令」「適当」

6つで考えるのが主流ですね。

「義務」「予定」「当然」に含まれる
「勧誘」「適当」に含まれる

と考えておきましょう。

「決意」という意味を項目に挙げている文法書もありますが、これは「意志」に含まれます。

例文

潮満ちぬ。風も吹きぬべし。(土佐日記)

(訳)潮が満ちた。風もきっと吹くだろう

内容的に、「当然」と言える現象ではないので、「推量」がふさわしいです。

子となり給ふべき人なめり。(竹取物語)

(訳)(私の)子とおなりになるはずの人であるようだ。

現代語の「べき」と同じような使い方をしているものは「当然」です。

体言に係っていく「べき」は「当然」になりやすいですね。

羽なければ、空をも飛ぶべからず。(方丈記)

(訳)羽がないので、空を飛ぶことができない。

「可能」です。

「可能」はこのように、多くの場合、打消表現や反語表現を伴い、まとまりとしては「できない」という文意になりやすいです。

「頼朝が首をはねて、我が墓の前にかくべし。」(平家物語)

(訳)「(源)頼朝の首をはねて、私の墓前にかけ。」

文末用法で、誰かに指示している使い方は「命令」です。

これが「上位の者」に申し上げている文脈であれば「適当」でとることになります。

勝たんと思ふべからず、負けじと打つべきなり。(徒然草)

(訳)勝とうと思うべきではない、負けまいと(思って)打つべきである。

このように、「現代語」の「べき」で表現するのが適訳であるものは「当然」の意味です。

ただ、「義務」と考えて、「勝とうと思って打ってはならない、負けまいと思って打たねばならないのだ」と訳すこともできます。

あるいは、「適当」と考えて、「勝とうと思って打つのはよくない、負けまいと思って打つのがよいのである」と訳すこともできます。

状況として「上位の者」からの「指示」であれば、「命令」と考えることもできます。

「ず」があったら「可能」になりやすいとは言いましたが、必ず可能になるわけではありませんので、常に文脈で考えましょう。

家の作りやうは、夏をむねとすべし。(徒然草)

(訳)家の作り方は、夏を基本とする【主に考える】のがよい

「読者」という〈二人称〉に対して「こうするといいよ」と述べているので、「適当」と考えます。

「こうしなければいけない」という強い調子ではありませんので、「当然」で解釈するとちょっと強引な意見になりますね。

船に乗るべきところへ渡る。(土佐日記)

(訳)船に乗るはずの所【乗ることになっている所】へ移動する。

体言に係っていく「べき」なので、「当然」で解釈します。

文脈上「予定」でとってもいいですね。

言ひ尽くすべくもあらず、悲しうあはれなり。(蜻蛉日記)

(訳)ことばで言い尽くすことができそうにないほど、悲しくしみじみと思われる。

「ず」があるので、「可能」の意味でとり、「できない」と訳します。

打消表現や反語表現とセットになっている「べし」は、可能の意味になりやすい・・・のですが、上の例文にもあったように、「当然」「意志」「推量」「命令」などで取るほうが適切な場合もあります。

常に文脈にあてはめて判断しましょう。

まいて、琴につくりて、さまざまなる音の出で来るなどは、をかしなど世の常にいふべくやはある。(枕草子)

(訳)まして(桐の木を)琴に作って、さまざまな音が出て来ることなどは、「すばらしい」などと通り一遍に言うことができるだろういやできそうにない

反語の係助詞「やは」があることで、主張内容としては「できない」と言っていることになります。

したがって「可能」の意味でとります。

ひとつ前の例文もそうなのですが、「べし」の意味は「可能+意志」とか、「可能+推量」というように、複数のニュアンスが混ざっていることも少なくありません。

そのため、「可能」の意味であっても、「意志」や「推量」のニュアンスが混ざりこんで「できそう」「できるだろう」などと訳すことがあります。

「当然と推量」とか、「適当と推量」とかも、きっぱり分けられない印象があるよね。

そうですよね。

そのため、訳としては、「はずだろう」とか、「よいだろう」などと訳す場合もけっこう多いですよ。

とにかく、「べし」は、「この意味でしか取れない」というケースはそれほど多くない助動詞なのです。