修飾語
日本語における「文の成分(文節の役割)」には、
①主語
②述語
③修飾語
④接続語
⑤独立語
の5種類があります。
前回は「主語と述語」について話しました。
今回は「修飾語」について考えましょう。
やってやるぞ。
どんとこい。
いきなりややこしいことを話すんですけれど、「修飾語」を「目的語」と「補語」という成分に分ける考え方もあります。
あるいは、「修飾語」のことを「補語」と呼び、さらにそれを「必須保護」と「副次保護」に分けるといった考え方もあります。
しかし、「目的語」「補語」という言葉は、学校で習う口語文法(現代日本語文法)では出てきません。それらはすべて「修飾語」として分類されます。
いきなりハードルが高いことを話し始めた。
出てこない言葉を言わなくてもいいじゃないか。
それもそうなんですけど、「目的語」とか「補語」とかいった言葉は、今後おそらく様々な場所で耳にするんですよ。英語や漢文の学習で使用されます。
そのときに、「え? そんな言葉は習っていないぞ!」と思うかもしれないけれど、「そういえば修飾語の一種だと言っていたな・・・」と思い出してくれればいいなあと思って話しました。
このページの最後にもうちょっと話します。
気持ちはよくわかった。
気をとりなおして今日の学習を進めていこう。
雪 降れり。
主ー 述
なんていうのが「主語」と「述語」だったな。
そうだったな。
では「修飾語」というものはいったいどんなものだ?
いっそうくわしく説明することば
「修飾(しゅうしょく)」というのは「かざる」という意味合いがあります。
あることばに対して、「それをいっそうくわしく説明することば」が修飾語です。
たとえば、
うつくしうて居たり
といったら、「うつくしうて」は「居たり」を「いっそうくわしく説明」していますね。ですから、「うつくしうて」は「修飾語」です。
ふむふむ。
例をあげていきましょう。
白き 鳥の
修飾語
けしき はなはだ あし
修飾語
おもしろく 咲きたり
修飾語
竹を 取る
修飾語
宇津の山に 至りて
修飾部
といったものですね。
いろいろなパターンがあるのだな。
パターン分けするとかなりありますよ。
◆どのように
◆どんな
◆何の
◆何を
◆何に
◆何で
◆どのくらい
◆どこ(どこへ・どこから・どこで)
◆いつ(いつから・いつまで)
覚えるのは無理だなこれは。
「覚える」という意識はそれほど必要ありません。
「後ろにある文節」を「いっそうくわしく」していれば「修飾語」だと考えればそれでいいです。ただ、「後ろにある文節」というのは「直後」とは限りません。
とにかく「修飾語」→「修飾される語」の順番になるということだな。
日本語ではそうなります。
修飾語 → 被修飾語
ところで、「くわしく説明する」のが「修飾語」なのですから、必ず「説明される側」の文節がありますね。そちらは「被修飾語(ひしゅうしょくご)」といいます。
野山にまじりて
であれば、「野山に」が「修飾語」で、「まじりて」が「被修飾語」になります。
被(ひ)があるほうが、修飾される側なのだな。
「被」は、「被る(こうむる)」という意味です。外部から与えられているということです。
たとえば「被害者」であれば「害」を「こうむる(外部から与えられる)者」という意味になりますね。
「被修飾語」というのも、「他のことばから修飾(かざり)を与えられていることば」ということになります。
竹取の翁といふものありけり。
だったら、
竹取の → 翁
修飾語 → 被修飾語
翁と → いふ
修飾語 → 被修飾語
いふ → もの
修飾語 → 被修飾語
ということだな。
ちょっと待った。
「翁」は「被修飾語」なのか、「修飾語」なのか、どっちなんだ。
「翁(と)」は、「竹取の」を受ける「被修飾語」ですが、同時に「いふ」をくわしくしている「修飾語」です。
「いふ」は、「(竹取の)翁と」を受ける「被修飾語」ですが、同時に「もの」をくわしくしている修飾語です。
「もの」は、「いふ」を受ける「被修飾語」です。
細かく見ると、次のような関係になっています。
竹取の 翁と いふ もの
修飾 ー被修飾
修飾ー被修飾
修飾ー被修飾
ちょっと待った。
「もの」は、「ありけり」に対する「主語」のはずだぞ。
どうしてそれが「被修飾語」になってしまうんだ。
「被修飾語」というのは、「文の成分」ではありません。
「被修飾語」というのは、「修飾語」がある場合に、その修飾を受け取っている文節に対しての名称です。
そのため、「被修飾語」は、同時に「主語」「述語」「修飾語」「接続語」「独立語」のどれかの役割を持っています。
したがって、「主語」であり、かつ「被修飾語」である文節というのはけっこうあります。同じように、「述語」であり、かつ「被修飾語」である文節もけっこうあります。
たとえば、
仁和寺にある法師、年寄るまで石清水を拝まざりければ、
という古文について、「主語」はどれですか? と聞かれた場合、正解は「(仁和寺にある)法師」です。
同時に、「仁和寺にある」という「修飾部」に対する「被修飾語」はどれですか? と聞かれた場合も、正解は「法師」になります。
「述語」はどれですか? と聞かれた場合、正解は「拝まざりければ」です。
「石清水を」という「修飾語」に対する「被修飾語」はどれですか? と聞かれた場合も、正解は「拝まざりければ」になります。
なお、「仁和寺にある」というパーツは文節ふたつぶんですので、一般的には「修飾部」といいます。これを「連文節」というのですが、それについてはこちらをどうぞ。
連体修飾語と連用修飾語
最後に、今日は次のことばを覚えておきましょう。
「連体修飾語」(れんたいしゅうしょくご)
「連用修飾語」(れんようしゅうしょくご)
です。
ふたつくらいなら何とかなるな。
赤き 花
の「赤き」は「連体修飾語」です。
おもしろく 咲きたり
の「おもしろく」は「連用修飾語」です。
??
ちょっと難しいから、現代語でこちらから聞きたい。
いいでしょう。どうぞ。
輪になって踊ろう。
「輪になって」は連用修飾語(部)です。
ギリギリでいつも生きていたいから さぁ
「ギリギリで」は連用修飾語です。
こわれそうなものばかり集めてしまうよ 輝きは飾りじゃない ガラスの十代
「こわれそうな」は連体修飾語です。
「ガラスの」も連体修飾語です。
ようこそ ここへ 遊ぼうよ パラダイス 胸のリンゴむいて
「パラダイス」はどこにもかかっていませんね。つまり、何かをくわしく述べているわけではないので、修飾語ではありません。
大人にゃ 見えない しゃかりき コロンブス 夢の島までは 探せない
「夢の」は連体修飾語です。
わかったぞ!
「十代」とか「島まで」とか、「名前みたいなもの」を修飾しているのが「連体修飾語」だ!
「踊ろう」とか「生きていたい」とか、「動き」や「状態」を修飾しているのが「連用修飾語」だ!
だいたい正解です!
連体修飾語というものは、「物」や「名前」などを「より詳しく」述べるためのものです。
連用修飾語というものは、「動き」や「状態」や「性質」といったものを「より詳しく」述べるためのものです。
区別が難しいな。
現時点では何となくわかればいいです。
もう少し学習が進むと、「名詞」「動詞」「形容詞」「形容動詞」といった「品詞」の勉強に入っていきます。
そこまで進んだほうが、「連体」と「連用」の違いはもっとわかりやすくなりますよ。
先取りして言っておくと、「名詞」のことを別名「体言」といいます。
「動詞」「形容詞」「形容動詞」のことをまとめて「用言」といいます。
「体言」に連なるから「連体」で、「用言」に連なるから「連用」ということなのだな。
そのとおりです。
ですから、「体言」や「用言」の学習に進まないと、ここの知識はなかなか構築されません。今はだいたいの区別がつけばいいのです。
補足(目的語・補語について)
英語や漢文だと、「目的語」とか「補語」なんていう分類もあるのだな。
これについては現代語でお話ししますが、日本語でも、分けようとすれば分けられます。
たとえば、
トラネコは 午前中 縁側で 昼寝を した。
修飾語 修飾語 修飾語 被修飾語
という場合、「した」をいう述語に対して、「昼寝を」という情報は必須だと考えられます。
たしかに、
トラネコは 午前中 縁側で した。
と言っても、何をしたのかわからないな。
「昼寝を」という修飾語は、必須に見える。
この「必須に見える修飾語」を「目的語」ということがあります。「必須補語」ということもあります。
通常、「~を」となっているものが「目的語」ですね。あとは、「~に」という表現が目的地や目的物を意味している場合は「目的語」の扱いになります。
一方、「午前中」「縁側」といった、「いつ」「どこで」といった情報は、文の根幹をなしているというよりは、「おまけ」の扱いです。
このように、「あったほうがいっそうよくわかるけれど、文の根幹(中心)になるとはいえない修飾語」を「補語」といいます。「副次補語」ということもあります。
おれはおさしみを食べる。
であれば、「おさしみを」というのが「目的語」なのだな。
おれは畳でツメをとぐ。
であれば、「ツメを」というのが「目的語」なのだな。
ええ。学校で習う文の成分としては「修飾語」に分類されますが、「目的語」ということもあります。
おれは出窓に行く。
であれば「出窓に」が「目的語」なのだな。
そして、
日曜日に公園に行く。
であれば、「日曜日に」は「補語」で、「公園に」は「目的語」なのだな。
そうです。
そのように、「~に」の場合は注意が必要です。
たとえば「日曜日にキャンプに行く」という場合、
「キャンプに」というのは「目的地」を意味しているので「目的語」といえます。
しかし、「日曜日に」という言葉は、目的地ではない(日曜日に向っているわけではない)ので、「目的語」とはいえません。
このように、「~に」という言い方は、「目的地」や「目的物」を意味しているわけではないものは「目的語」ではなく「補語」の扱いです。一般的に、「いつ」「どこで」という情報は「補語」ですね。
でも、英語とか漢文とかの文法名称とはちょっと違う気がする。
ええ。けっこう違います。
そもそも漢文でも、
① 目的語/補語 に分ける文法書
② 目的語+補語 をいっしょにして「目的語」と呼ぶ文法書
③ 目的語+補語 をいっしょにして「補足語」と呼ぶ文法書
などがあります。
出版社や研究者によって異なるのですね。