あさぼらけ うぢのかはぎり たえだえに あらはれわたる せぜのあじろぎ
和歌 (百人一首64)
朝ぼらけ 宇治の川霧 たえだえに あらはれわたる 瀬々の網代木
権中納言定頼 『千載和歌集』
歌意
明け方のしだいに明るくなってくるころ、宇治川にかかる霧が、とぎれとぎれになってくる。(それに伴い)あちこちに現れてくる、川瀬に仕掛けられた網代木だ。
作者
作者は「権中納言定頼」です。「藤原定頼」のことです。
お父さんは「藤原公任」です。
「定頼」って、小式部内侍をからかった人か!
ちょ、まっ!
そうですね。
歌合の際、「小式部内侍」に対して、「遠くにいるお母さん(和泉式部)からのアドバイスは届きましたか~」というようなことを言った人です。
それで当意即妙な歌を詠んだ小式部内侍に対して、何も言えずにおめおめと逃げて行ったのが定頼だったね。
めんぼくねえ。
そうですね。
ただ、定頼は当代随一の「藤原公任」の長男でありまして、ご自身も非常に優れた才人でした。
この歌なども、朝霧がじわーっと消えていって、それまで見えなかった網代木が少しずつ少しずつ見えるようになっていく様子を、非常にうまく歌っていると思います。
よっしゃ。
ポイント
朝ぼらけ
「朝朗明(あさほがらあけ)」を「朝ぼらけ」というようになったという説があります。
「朝朧明(あさおぼろあけ)」とか、「朝ホロ明け」といった説もありますが、いずれにしても「明け方の、ほのぼのと明るくなっていく様子」を示していますね。
宇治の川霧
「宇治川」に立ち込める「霧」のことです。
宇治川は、琵琶湖から流れる川であり、くねくねと曲がって京都を通りぬけ、淀川として大阪湾に出ます。
網代を用いた漁が有名で、宇治川を詠んだ歌には「網代」「網代木」がよく出てきます。
たえだえに
ヤ行下二段動詞「絶ゆ」の連用形を重ねた表現です。
「尽きる」「絶える」「切れる」ということであり、霧がとぎれとぎれになって消えていく描写になっています。
と同時に、網代木がとぎれとぎれに出現するさまを示しているので、一種の「掛詞」だと言えます。
あらはれわたる
「現る(あらはる)」+「渡る(わたる)」です。
「わたる」は補助動詞として用いると、「空間の連続性」「時間の連続性」の意味合いを補足する役目をもちます。
「〇〇わたる」が「空間的」な意味なのであれば「一面に〇〇する」と訳し、「時間的」な意味なのであれば「〇〇しつづける」などと訳します。
ここではたくさんの網代木が空間的に広く点在しているさまを詠んでいるので、「一面に現れる」「あちこちに現れる」などと訳しましょう。
瀬々の網代木
「瀬」は「川の浅い部分」のことです。
「網代木」は、「網代漁」をするうえで用いる「網代」をつけるための木です。
「網代木」そのもので魚を追い込む場合もあります。
たしかに、ぼやーっと霧が晴れていって、それにしたがって網代木がうわーっと見えてくる様子がよくわかる歌だね。
「小式部内侍」とのやり取りでは、ちょっと情けなかった定頼ですが、こんなにすばらしい歌の作り手なのですね。