文法の勉強の最初の一歩として、「ことばの単位」について学習しましょう。
やってやるぜ。
どんとこい!
単語 < 文節 < 文
日本語文法では、ことばの最小単位を「単語」といいます。
単語と単語が結びついて「文節」になり、文節と文節が結びついて「文」になります。
「文」が3つ4つ集合して、ひとまとまりになると「段落」になります。その「段落」がさらに複数集合すると、「文章」という最大単位になります。
単語 < 文節 < 文 < 段落 < 文章
(小さい) (大きい)
ということですね。
にんじん
それは「単語」ですね。
ことばの最小単位です。
走りけり
それは「文節」です。
「走る」という単語と「けり」という単語でできています。
雪、降りぬ。
それは「文」です。
何がーどうだ。
主語 述語
という関係ができていて、最後が句点(。)で結ばれているものは「文」ですね。
(古文にはもともと句読点はありませんが、教科書や試験問題などの一般的なテキストには後世でついた句読点があります)
「主語」「述語」ということばについては、「文の成分」の回で学習します。
そのときに詳しく見ていきますが、主語が書かれていない場合もあります。
文節と単語
「文節」と「単語」の違いがちょっとよくわからないな。
よく言われるのは、「~ネ、~ネ、~ヨ」といったことばを入れることができるところが、文節の区切りだという考え方です。
竹取の翁といふ者ありけり。
であれば、
竹取のネ / 翁とネ / いふネ / 者ネ / ありけり。
という具合に、「ネ」を入れて区切ることができます。これが文節の切れ目になります。
ただ、現代語と違い、古文の場合だと、主語の文節に助詞がないことも多く、そうすると「ネ」を入れづらいんですよね。
はあー、テレビもねえ! ラジオもねえ!
新聞ねえ! 雑誌もねえ! たまに来るのは回覧板!
それは吉幾三さんの名曲『おら東京さ行くだ』の歌詞ですね。話がややこしくなるので無視します。
文節は自立語ではじまる
・・・さて、「文節」というのは、多くの場合、「それだけで意味がわかる単語」と「それだけでは意味がわからない単語」で構成されます。
今は昔、比叡の山に児ありけり。
を「文節」で区切ると、
今は / 昔、 / 比叡の / 山に / 児 / ありけり。
となります。
ひとつひとつの文節をさらに区切ると、
今 | は / 昔、 / 比叡 | の / 山 | に / 児 / あり | けり。
となります。これが「単語」の区切りです。最小単位の区切り方ですね。
「今」はそれだけで意味がわかりますね。このように、単独で意味がわかる単語を「自立語」といいます。
一方、「は」はそれだけでは意味がわかりません。このように、単独では意味がわからない単語を「付属語」といいます。
文節の最初は、全部「自立語」なんだね。
そうです。
「文節」の先頭は必ず自立語になります。
くわしくはこちらをどうぞ。
複合語
でも、学校で「文節に分ける」っていう作業をしたときに、
すでにし出だしたるさまにて、ひしめき合ひたり。
は、
すでに / し出だしたる / さまにて、 / ひしめき合ひたり。
だったんだけど、最後の文節なんかは、「ひしめく」と「合ふ」は別々の自立語であって、別々の文節なんじゃないの?
ああ〜。
「ひしめく」と「合ふ」は、別のことばだよね。
「名詞+名詞」とか、「動詞+動詞」のように、「そのまま連結しているもの」は、「まとめて一つ」の扱いになります。
たとえば、「蔵人頭」は、「蔵人」という役職に、長という意味の「頭」がついていますから、本来別々の語ですけれども、「まとめて一つ」の名詞扱いです。「征夷大将軍」なども「まとめて一つ」の名詞扱いです。
「動詞」でいえば、「飛び立つ」とか、「出で来」とか、動詞同士が直接つながっているものは、「複合動詞」と考えて「まとめて一つ」とみなしましょう。
現代語でもたくさんありますよね?
現代語か……
動き出す
飛び跳ねる
食べ始める
言い終わる
書き出す
落ち込む
言いよどむ
暮れなずむ
そうですね。そういうことばはまとめてひとつの扱いです。
走り出せ
走り出せ
明日をむかーえに行こうー。
君だけの音を聞かせてよ。全部感じてるよ。
何かが始まったぞ。
止めないで
止めないで
まあ止めませんけど。
今をうごかーす気持ちー。
どんなに小さなつぼみでも
一つだけの
ハピネス
最後の誰?