村上天皇と中宮安子/中宮安子の嫉妬 『大鏡』 現代語訳

『大鏡』より、「村上天皇と中宮安子(中宮安子の嫉妬)」の現代語訳です。

藤壺、弘徽殿と上の御局は、~

藤壺、弘徽殿とのうへの御局は、ほどもなく近きに、藤壺の方には小一条の女御、弘徽殿にはこの后の上りておはしまし合へるを、いと安からず、えや静めがたくおはしましけむ。中隔ての壁に穴をあけて覗かせたまひけるに、女御の御容貌、いとうつくしくめでたくおはしましければ、むべ時めくにこそありけれと御覧ずるに、いとど心やましくならせたまひて、穴より通るばかりの土器の割れして打たせたまへりければ、

藤壺、弘徽殿との(それぞれの)上の御局は、距離もなく近いが、藤壺のほうには小一条の女御【藤原芳子】、弘徽殿のほうにはこの后【藤原安子】が、同時にお上りになっていらっしゃったが、(中宮安子は)たいそう心穏やかでなく、(気持ちを)落ち着けることができずにいらっしゃったのだろうか、中仕切りの壁に穴を開けておのぞきになったところ、女御【小一条の女御】のご容貌がたいそうかわいらしくすばらしくいらっしゃったので、なるほど(これほどすばらしい容姿だから)帝のご寵愛を受けるのであるなあ。」とご覧になると、いっそう不愉快におなりになって、穴から通るほどの土器の破片を、(女御に)おぶつけになったところ、

「上の御局」とは、帝のご座所の近くに設けられた、女御たちの通常の局とは別の控えの部屋のことです。

帝のおはしますほどにて、~

帝のおはしますほどにて、こればかりにはえ堪へさせたまはず、むつかりおはしまして、「かうやうのことは、女房はせじ。伊尹・兼通・兼家などが、言ひ催してせさするならむ。」と仰せられて、皆、殿上に候はせたまふほどなりければ、三所ながらかしこまらせたまへりしかば、その折に、いとど大きに腹立たせたまひて、「渡らせたまへ。」と申させたまへば、

(ちょうど)帝【村上天皇】がいらっしゃるときで、(帝は)このことだけには我慢がおできにならず、ご機嫌をそこねていらっしゃって、「このようなことは、女房はしないだろう。(藤原)伊尹、兼通、兼家などが、言いそそのかしてさせたのだろう。」とおっしゃって、皆【伊尹・兼通・兼家】が、殿上にお仕えしていらっしゃったときであったので、(帝が)三人とも謹慎させなさったところ、その際に、(安子は)いっそうひどくお腹立ちになって、(帝に)「(私の局まで)お出ましください。」と申し上げさせなさったところ、

思ふにこのことならむと思しめして、~

思ふにこのことならむと思しめして、渡らせたまはぬを、たびたび、「なほ、なほ。」と御消息ありければ、渡らずは、いとどこそむつからめと、恐ろしくいとほしく思しめして、おはしましけるに、「いかで、かかることはせさせたまふぞ。いみじからむ逆さまの罪ありとも、この人々をば思し許すべきなり。いはむや、まろが方ざまにてかくせさせたまふは、いとあさましう心憂きことなり。ただ今召し返せ。」と申させたまひければ、

(帝は、なぜ呼ばれているのかを)考えるに、このこと【三人を謹慎させたこと】であろうとお思いになって、おいでにならないが、(安子は)何度も、「やはり(いらしてください)、やはり(いらしてください)。」とお取り次ぎがあったので、(帝は)行かないとすると、いっそう不愉快になるだろうと、恐ろしくも、また気の毒にもお思いになって、(安子の局に)いらっしゃったところ、(安子は)「どうして、このようなことをしなさったのか。並々でない反逆の罪があっても、この人たちをお許しにならなければならない。まして、私にかかわりがあることでこのようにしなさるのは、たいそう驚きあきれてつらいことである。今すぐに(三人を)お呼び戻しください。」と申し上げなさったので、

「いかでか、ただ今は許さむ。~

「いかでか、ただ今は許さむ。音聞き見苦しきことなり。」と聞こえさせたまひけるを、「さらにあるべきことならず。」と責めまうせたまひければ、「さらば。」とて帰り渡らせたまふを、「おはしましなば、ただ今しも許させたまはじ。ただこなたにてを召せ。」とて、御衣を取らせたてまつりて、立てたてまつらせたまはざりければ、いかがはせむと思しめして、この御方へ識事召してぞ、参るべきよしの宣旨下させたまひける。これのみにもあらず、かやうなることども多く聞こえはべりしかは。

(帝は)「どうして、今すぐに許そうか、いや許すはずはない。(うわさになれば)外聞が見苦しいことである。」と申し上げなさったところ、(安子は)「決してあってはならないことだ。」と、(帝を)お責め申し上げなさったので、(帝は)「それならば(許そう)。」と言って、(自室へ)帰っていきなさるのを、(安子は)「(帝のお部屋にお帰りで)いらっしゃるとしたら、たった今にはお許しになるまい。ただもうここでお呼び寄せください。」と言って、(帝の)御衣をおつかみ申し上げて、お立て申し上げなかったので、(帝は)どうしようか【どうしようもない】とお思いになって、この御局に識事【蔵人】をお呼びになって、(伊尹・兼通・兼家の三人に)参上してよいという趣旨の宣旨をお下しになった。これだけではなく、(安子の)このような事柄などが多く評判になってございましたよ。

おほかたの御心はいと広く、~

おほかたの御心はいと広く、人のためなどにも思ひやりおはしまし、あたりあたりに、あるべきほどほど過ぐさせたまはず、御顧みあり。かたへの女御たちの御ためにも、かつは、情けあり、御みやびを交はさせたまふに、心よりほかにあまらせたまひぬる時の御もの妬みの方にや、いかが思しめしけむ。この小一条の女御は、いとかく御容貌のめでたくおはすればにや、御許されに過ぎたる折々の出で来るにより、かかることもあるにこそ。その道は、心ばへにもよらぬことにやな。かやうのことまでは申さじ。いとかたじけなし。

(しかしながら、安子の)通常のお心はたいそう寛大で、人のためなどにも思いやりがおありで、身辺に仕える者たちにも、ふさわしいそれぞれの身分に応じてお見過ごしにならず、お心にかけるところがある。仲間の女御たちのためにも、一方では、思いやりがあり、(和歌のご贈答など)風流なご交際をなさるが、(感情を抑えられず)思案にあまりなさったときのご嫉妬のほうでは、どのようにお思いになったのだろうか。この小一条の女御は、本当にこのようにご容貌がすばらしくいらっしゃるからであろうか、(安子が)お許しになることを超えた折々が出てくることによって、このようなこともあるのだろう。その道【男女の愛情の方面】は、(普段の)心遣いにもよらないものであろうか。(しかし今は)このようなことまでは申し上げまい。たいそう恐れ多い。