けしからず物ごとにいはふ者ありて、~
けしからず物ごとにいはふ者ありて、与三郎といふ中間に、大晦日の晩いひ教へけるは、「今宵は常よりとく宿に帰り休み、あすは早々起きて来り門をたたけ。内より『たそや』と問ふ時、『福の神にて候』と答へよ。すなはち戸を開けて呼び入れむ」と、ねんごろにいひふくめて後、亭主は心にかけ、鶏の鳴くと同じやうに起きて門にまち居けり。
醒睡笑
とんでもなく【尋常でなく】事あるごとに神をまつる者がいて、与三郎という中間【使用人】に、大晦日の晩に、言い教えたことには、「今夜はいつもより早く家に帰って休んで、明日の朝早く来て門を叩け。中から、『誰だ』と問う時、『福の神でございます』と答えよ。すぐに戸を開けて中に呼び入れよう」と丁寧に言い含めた後、亭主は気にかけて、鶏が鳴くのと同じくらい早く起きて門の中で待っていた。
案のごとく戸をたたく。~
案のごとく戸をたたく。「誰そ、誰そ」と問ふ。「いや、与三郎」と答ふる。無興なかなかながら門を開けてより、そこもと火をともし若水を汲み、羹をすゆれども、亭主顔のさま悪くして、さらにものいはず。中間不審に思ひ、つくづく思案しゐて、宵に教へり福の神をうち忘れ、やうやう酒を飲むころに思ひ出し、仰天し、膳をあげ、座敷を立ちざまに、「さらば福の神で御座ある。おいとま申し参らする」というた。
予想のとおり、戸を叩く。「誰だ、誰だ」と問う。「いや、与三郎」と答える。不愉快で中途半端ではあったが門を開けてから、そこらに火をともし若水をくんで雑煮を据えるが、亭主は顔からして不機嫌でまったくものを言わない。中間は不思議に思い、つくづく思案していて、(昨日の)夜に教えた福の神のことをすっかり忘れ、ようやく酒を飲むころ思い出し、はっとして膳を上げ座敷から立つやいなや、「そうしたら福の神でございます。これでおいとま申し上げます【帰ります】」といった。