かわいそうでかわいい
意味
(1)かわいそうだ・気の毒だ
(2)かわいい・いとしい
ポイント
「いやがる」という意味の動詞「厭ふ」が形容詞化したという説が有力です。
「不遇な人」を見ると心が痛みますから、できれば避けたい、嫌なことですよね。
そのことから、「(見ているのが心苦しくていやになるほど)気の毒だ・かわいそうだ」という意味になります。
たしかに、転んで泣いている人を見たりすると、胸が痛むよな。
そうやって、もともとは「気の毒だ・かわいそうだ」という意味で用いられていた「いとほし」ですが、「力が弱くてかわいそうな存在」って、多くの場合「かわいらしい存在」ですよね。
「守ってあげたくなる存在」ということです。
そのことから「いとほし」は、「かわしい・いとしい」という意味でも用いられるようになりました。
ああ~。
椅子に飛び乗ろうとして失敗してずり落ちる猫とかって、かわいそうだけど、同時にかわいいもんな。
「いとほし」の成立については、「労し」という形容詞の「たは」が、「とほ」に音変化して「いとほし」になったという説もあります。
たしかに、「労し」は古くからあることばで、意味も「いとほし」と似ています。
しかし、「労し」のほうは、「(その人のために労力を惜しまないと思えるほど)かわいい・いとしい」という意味がもとであって、けっこう時代が経ったあとで、「かわいそうだ・気の毒だ」という意味が派生してきた語です。
つまり、「いとほし」は、もともとが「かわいそうだ・気の毒だ」であるのに対して、「いたはし」は、もともとが「かわいい・いとしい」であるので、そもそもの意味は別々であるといえます。
ふむふむ。
そうすると、もし、「いたはし」から、「いとほし」ができたのであれば、「いとほし」という語の成立は、時代としてけっこう後になるということなんだな。
ところが、「いとほし」という語は、平安時代中期の文にけっこう出てくるんですね。それこそ『枕草子』に「気の毒だ」という意味で複数回出てきます。
その一方、「いたはし」が、「かわいそうだ・気の毒だ」という意味を持ち始めるのは、文献的には平安時代の末期くらいからです。
すると、「いたはし」が「かわいそうだ・気の毒だ」という意味を持つずっと前から、「いとほし」は一般的に用いられていたことになりますね。
その観点で考えれば、「いとほし」は、「いとふ」という動詞から派生したと考えるほうが理に適っていると思います。
意味が似ているからこそ、「いたはし → いとほし」説が存在するんだけど、時代的にみると、ちょっと合理性に欠けるということなんだな。
そういえば、ほかにも似たような意味になる形容詞がなかったっけ?
「労たし」でしょうね。こちらは、「労し」とかなり似た感覚で用いられます。
「いとほし」「いたはし」「らうたし」に、「らうたげなり」も加えて、セットで覚えておいたほうが学習効果があると思います。
あとは、「愛し(かなし)」という形容詞も、「かわいい・いとしい」という意味でよく使用されます。
例文
来年の国々、手を折りて打ち数へなどして、揺るぎありきたるも、いとほしうすさまじげなり。(枕草子)
(訳)来年(国司が交替になる)の国々を、指を折って数えるなどして、体を揺らして歩きまわるのも、気の毒で興ざめに見える。
宮は、いといとほしと思す中にも、男君の御かなしさはすぐれたまふにやあらん、(源氏物語)
(訳)宮は、(孫たちを)たいそうかわいい【いとしい】 とお思いになる中でも、男君(夕霧)のおかわいらしさはまさっていらっしゃるのだろうか、
この例文などは、「いとほし」と「かなし」が似た意味をもつことがよくわかる例ですね。