見た感じきれい
意味
(1)きれいだ・こぎれいだ
(2)さっぱりと美しい・すっきりして美しい
(3)きちんとしている・整っている
(4)見事だ・立派だ
ポイント
形容詞「清し」の語幹に、見た目や様子を示す「げ」がついて形容動詞化したものです。
あくまでも「様子」に対してのほめ言葉なので、第一級のほめ言葉である「清らなり」に比べると、ランクの落ちることばです。
そのため、「清らなり」は、神仏などの超越的な存在、皇室、超上位層の貴族などに用いるのに対し、「清げなり」は、身分がそれほど高くない人にも使用します。
「超ド級ではないけれど、さっぱりしていてきれいだよ」ということなんだな。
はい。
意味も、「見入ってしまうほど美しい」というよりは、「整っていてこぎれいだ」という感じです。
オーラがにじみ出ているとか、豪華絢爛であるという美しさではなく、整理整頓されている美しさですね。
なんというか、「あってほしいものがあって、なくていいものはない」という様子なのだろうな。
まさにそんな感じです。
「清げなり」は、次第に一般的な美しさを広く意味するようになっていきますが、根本的には、「あるべきものがあり、なくていいものはない」という様子ですね。
「あるべきものがある」というニュアンスに力点がおかれると、「見事だ」「立派だ」などと訳すこともあります。
たとえば、「清げなる食ひ物」などという表現が、「あるべきものがきちんと整っている食事」という意味合いで使用されているのであれば、「見事な食事」「立派な食事」などと訳すことができます。
例文
白馬を見にとて、里人は車清げにしたてて見に行く。(枕草子)
(訳)白馬(の節会)を見にいくため、里人【宮仕えをしていない人々】は、車をこぎれいにしつらえて見に行く。
「白馬」って書いてあるんですけど、仮名で書くと「あをむま」です。
なぜだ?
正月の七日に「青馬」を見ると縁起がいいという中国のしきたりにならって、日本でも天皇が青馬を並べてご覧になる儀式が行われるようになりました。
それが、平安時代の中ごろになると、「白」を尊ぶ文化が成熟していき、村上天皇の時代に「青馬節会」の名称を「白馬節会」に置き換えたんですね。ただ、並べる馬の種類が特に変わったわけではなく、実際にはブルー系の馬だったと言われています。そういうこともあって、読みはそのまま「あをむま(あおうま)」のままでした。
そもそも、古代の「白」は、かなり広範な概念なので、「灰色」や「青」のことを「白」と称する場合もあります。そのため、当時の感覚としては「青い馬」を「白馬」と表現することは、そんなにおかしいことではないんですね。
ほどなく、いと清げなる食ひ物を持て来たり。(今昔物語集)
(訳)まもなく、たいそう見事な食事を持ってきた。
「きちんとしている食事」などと訳してもいいですね。