ものから 接続助詞

そういうものなんだけど、でも・・・

意味

(1)~けれども、 ~なのに、 *逆接の用法

(2)~ので、 ~から、 *順接の用法(近世)

ポイント

名詞「もの」に、格助詞「から」がついたものです。

平安時代はもっぱら(1)「逆接の用法」として用いられましたが、中世に入ると、(2)「順接の用法」が出現しはじめて、近世には(2)が主流になりました。 

江戸時代の作品であれば(2)の意味になりますが、平安・鎌倉期の作品であれば(1)で訳しましょう。

でも、「から」っていうことばの響きを考えると、(2)の「~ので」って訳したくなるけどな。

現代語の感覚だとそうですね。

しかし、「ものから」の主要な用法は「逆接」になります。

同じような接続助詞に「ものゆゑ」というものもありまして、こちらもメインの使い方は「逆接」です。

「ものから」も「ものゆゑ」も、「逆接」なのか!

そうなんです。

「ものから」の「から」は、もともとは名詞であって、「起点」「出発点」といった意味を示していたものです。

「ものゆゑ」の「ゆゑ」も、もともとは名詞で、「生成点」「発祥点」みたいな意味合いになります。

シンプルにいうと、どちらも「出どころ」ということであって、初めから「順接」とか「逆接」とかの意味を含んでいるわけではないのですね。

そのため、「~ものから」「~ものゆゑ」の部分は「前提条件」ということになるので、文法上の理屈としては、「順接」でも「逆接」でも訳はできることになります。

それでも、「逆接」がメインになるんだな。

その理由については諸説ありますが、ひとつには「もの」という名詞の影響力が強いのだと考えられています。

「もの」という語は、「既成事実」「運命」といった、「決まっているもの」「定まっているもの」を示します。

そのため、「~ものから」「~ものゆゑ」という表現は、「~という決まっているものを前提として~」というニュアンスになります。

ほうほう。

さて、これは現代語にも通じることですが、「A⇒B」という因果関係の文があるとして、「A」が「確定的なもの」「周知の事実」「世間の常識」などである場合、いちいち言わない・・・・・・・・ことのほうが多くありませんか?

春になると桜が咲くものだから、今年の春も桜が咲いたよ。

などという表現は、冗長・冗漫ですよね。

ああ~。

これはわかる気がするぞ!

日本語のパターンとして、「前提 ⇒ 結論」の「前提」が「言わなくてもわかる」ことであれば、あえて言わない傾向があります。

たとえば、「あなたは罪を犯したので ⇒ 罰を受けるべきだ」という表現は、古文であれば、「罰を受けるべきだ」だけで済ませてしまうことが多いです。「罪を犯したから」という「順当な前提」は、当事者たちにとっては言わなくてもわかるからです。

その一方、「あなたは罪を犯したけれども・・・・ ⇒ 許されてよい」という逆接の関係は、どちらかを省くわけにはいきません。

たしかに、「お風呂がわいたから、お風呂に入ろうかな」とか、「ご飯が炊けたから、ご飯を食べましょう」なんていう表現も、前提を言う必要ってないよな。

まとめますと、「確定的なもの」「周知の事実」「世間の常識」などを、「前提条件」としていちいち提示するとき・・・・・・・・・・というのは、たいてい「その後にくる結果が順当なものではない」からなんですね。

そういう「日本語のくせ」みたいなものもあって、「~ものから」「~ものゆゑ」のといった表現があえて書かれている場合は、「普通、その後に屈折した展開がくる」と予想できることになります。

ほかにも、ものを」「ものの」といった接続助詞もあるのですが、やはりメインの使い方は「逆接」です。

平安・鎌倉期の人々の言語感覚としては、「~ものを」「~ものの」「~ものから」「~ものゆゑ」といった「前提条件」が書かれていたら、「あ、このあとに順当ではない・・・・・・出来事がくるぞ」と予想できたといえます。

「もの」が含まれている接続助詞は「逆接」ということなんだな!

平安期はほとんどそうですね。

ただ、どれもそのうち「順接」の用法も芽生えてきます。

「ものゆゑ」などは、けっこう早い段階で、どちらでも使われるようになりました。『竹取物語』にも順接の用法が出てきます。

「ものから」は、鎌倉時代あたりで、どちらでも使われるようになりました。

たぶんだけど、鎌倉時代とかになると、西と東の交流とか、貴族と武士の交流とかが著しくなっていって、「順当な前提」であっても、いちいち言わないとわからなくなっていったからじゃないかな。

ああ~。

たしかに、平安期の言語は基本的に「貴族」の言語文化であって、常識や世界観などを共有していましたから、「言わなくていいことは言わない」という言語活動ができましたけれども、鎌倉時代以降はそうではなくなってきましたからね。

そういう経緯で、「逆接」でも「順接」でも使うようになっていった側面もあるかもしれないですね。

特に「ものから」について言えば、「逆接」の使い方が「古いことば」とみなされていって、江戸時代にはむしろ「順接」の用法だけになりました。

その一方、「ものの」「ものを」などは、現在は「順接」の意味は消えて、もっぱら「逆接」として使用されています。

そうやって、ことばのニュアンスは、勢力が移り変わっていくんだなあ。

例文

こと少ななるものから、さるべきふしの御答へなど浅からず聞こゆ。(源氏物語)

(訳)言葉少なではあるけれども、ふさわしい言い回しのお答えなどを思いを込めて申し上げる。

いたましうするものから、下戸ならぬこそ、男はよけれ。

(訳)(酒をすすめられたときに)つらいようにするのに、(実際には)下戸ではない【酒を飲めないわけではない】のが、男としてはよいのだ。

さすがに辺土の遺風忘れざるものから、殊勝に覚えらる。(おくの細道)

(訳)そうは言ってもやはり田舎らしく伝統を忘れないでいるので、けなげなことと感じられる。

最後の例文は江戸時代のものなので、「順接」で訳します。