もぞ / もこそ 連語

そうなっちゃったらどうしよう・・・ 

意味

(1)懸念・危惧・心配

~したら困る・~したら大変だ・~するといけない

この「懸念・危惧・心配」の用法では、結びが「む」「め」などの推量系の助動詞になることはありません。

(2)強調

~も・~でさえも

ポイント

係助詞「も」は、「並列」「添加」「列挙」「類推」「言外暗示」など、様々な意味を持ちますが、根本的には「情報の追加」であり、そのまま「も」と訳出することが多いですね。

そして、係助詞「ぞ」「こそ」は、特に訳出はしませんが、強調の役割を持っています。たとえば、「雨降る」という場合、訳は「雨が降る」ということですが、語り手はその部分を強い気持ちで述べていることになります。

連語「」「 こそ」は、これらが連なった表現です。

それがどうして「困る」とか入れて訳すんだろう。

たとえば、「雨もぞ降る」という場合、他の現象を補ってみると、「(晴れることもある。曇りのこともある。)雨が降ることある」と述べていることになります。

要するにこの表現は、可能性のひとつ・・・・・・・に言及している述べ方であって、「表現の構成要素」に「困る」というパーツがあるわけではないのです。

しかしながら、「ぞ」「こそ」がつくことによって、「語り手によって選びだされたひとつの可能性」が強調されていることになります。つまり、何らかの強い気持ちがあって、「それ」をわざわさ言っているのだと言えます。

文脈上、「そうなったらいいな」という場合と、「そうなったらいやだな」という場合があるのですが、後者のほうが多く、たいていの場合は(1)のような訳し方になります。

ああ~。

ファンタジー小説で、暗黒の森の手前の宿のおかみさんが、「あの森には気を付けなさい。ゴーレムも出るよ」なんて言う場合、「(スライムが出ることもある。ゴブリンが出ることもある。)ゴーレムが出ることもある」と言いたいわけなんだな。

古文っぽく言うと、「ゴーレムもぞ見ゆ」「ゴーレムもこそ見ゆれ」という感じです。

シンプルに訳せば、「ゴーレム出現するかもしれない」ということなのですね。

あくまでも可能性のひとつに言及しているのですが、「ぞ」や「こそ」で強調されているということは、「強い気持ち」があって、「ゴーレム」をわざわざ取り上げていることになります。

この文脈の場合、解釈的には、「ゴーレムが出たらたいへんだ・・・・・」「ゴーレムが出たら困る・・」というように、「語り手の気持ち」も拾って訳すことが多くなります。

「拾って訳すことが多くなります」と言いましたが、古文読解の試験においては、「たいへんだ」「困る」「いけない」などと入れて訳すほうが普通です。記述問題でも、このうちのどれかを入れてみて前後関係がおかしくなければ、書いておいたほうがいいですよ。

解釈的な訳出方法ということなんだな。

そうですね。

注意点としては、「そうなったらいいな」という使い方もゼロではないということです。

たとえば、現代語でも、「宝くじ買うなら10枚くらいは買いなよ。複数枚買っておけば当たることあるぞ」という場合があります。

これを古文で強調して言うのであれば、「複数枚買はば、当たりもぞする」などになります。

文脈的には「そうなったらいいな」ということであり、むしろ「期待」を意味していますので、「懸念・危惧・心配」とは言えません。

たしかに。

また、未来のことを述べているのでなければ、単純に「も」を強調しているだけの場合もあります。

現代語でも、「こち亀200冊あるのに(JOJOの単行本も買った)」などという場合、すでに現実に起きていることを述べていますね。

これを古文で強調して言うのであれば、「こち亀もこそ200冊あれ」などになります。

文脈的に成立済のことであれば、「懸念・危惧・心配」とは言えません。「こち亀でさえも200冊あるのに……」「こち亀だって200冊あるんだけど……」と言っていることになります。

ということは、「『もぞ・もこそ』があったら、100%『懸念の用法』だ!」と短絡的に考えないほうがいいんだな。

本質的にはそうです。

ただ、「もぞ・もこそ」を試験で問う場合、ほぼ100%(1)の用法ですので、「もぞ・もこそ」=「困る・たいへん」と直結的に暗記しておいても、得点はできます。

とはいえ、どうしてそういう訳になるのかという理屈を知っておいたほうが、選択肢問題などでひねった訳語が出てきたときに対応できますので、表面的な丸暗記は避けたほうがいいと思います。

例文

さかしらする親ありて、思ひもぞつくとて、この女をほかへ追ひやらむとす。(伊勢物語)

おせっかいをする親がいて、(息子から女に)恋心がついたら困る【つくといけない・ついたら大変だ】と思って、この女をほかへ追いやろうとする。

(どこかへ行ってしまった雀の子の話題で…)烏もこそ見つくれ。(源氏物語)

(訳)(雀の子を)烏が見つけたら大変だ【見つけたら困る・見つけるといけない】。

かのかたらひけることのすぢもぞ、この文にある。(蜻蛉日記)

(訳)あの【禅師の】語ったことの筋、この手紙に書いてある。

ここでの「もぞ」は、未来のことに対して用いているのではなく、シンプルに「も」を強調しているだけなので、特別な訳し方はしません。

まなこもこそ二つあれ、ただ一つある鏡をたいまつるとて、海にうちはめつれば、くちをし。(土佐日記)

でさえも【眼だって】二つあるのに、たった一つしかない鏡を差し上げるといって、(鏡を、荒れ狂う)海に投げ込んだので、残念なことだ。

ここも、「眼」が二つあることは、すでに成立している事実なので、未来のことに対して用いている「もこそ」ではありません。