なにはがた みじかきあしの ふしのまも あはでこのよを すぐしてよとや
和歌 (百人一首19)
難波潟 みじかき芦の ふしの間も 逢はでこの世を 過ぐしてよとや
伊勢 『新古今和歌集』
歌意
難波潟の芦の、短い節と節の間のように短い時間も、(私とあなたが)逢わないでこの世を過ごしてしまえと、あなたは言うのだろうか。
作者
作者は「伊勢」です。三十六歌仙の一人です。父、藤原継蔭が伊勢守だったことから、「伊勢」と呼ばれています。歌集に『伊勢集』があります。
宇多天皇の中宮「温子」に仕えました。温子の弟である藤原仲平、兄である藤原時平などに愛され、その後、宇多天皇の寵愛も受けました。
モテモテだったんだね。
情熱的な恋の歌が多いのですが、性格は温和だったと言われています。
そのギャップに惹かれる男性が多かったのかもしれませんね。
ポイント
難波潟
「難波」は、現在の大阪府大阪市のあたりです。「潟」は潮の干満によって、海になったり陸になったりするところです。
大阪湾の東側は、城東区や東淀川区のほうまで干潟が広がっており、芦(葦)の名所であったと言われています。
浅い海だったわけだね。
淀川、大和川、武庫川などから運ばれた土砂が堆積して、だんだん島になっていったようですね。
古代では難波八十島と呼ばれていまして、いまでも「島」がつく地名が多く残っています。
みじかき芦の
「芦」はイネ科の多年草です。
難波潟にたくさん自生していたようですね。節と節の間が短い植物で、この歌では「時間の短さ」を「芦の節の間の短さ」にたとえています。
「難波潟」からここまでが、「ふし」を導く「序詞」です。
ふしの間も
「ふし」は「節」のことですので、上とのつながりでは「芦の節の間」を意味しています。
と同時に、下へと続く文脈では「節と節の間のように短い時間」という意味で用いられていますので、「ふしの間」は「掛詞」だといえます。
でたな、掛詞。
「節」は「よ」とも読みます。
下の句の「この世を」の「世」、「過ぐしてよとや」の「よ」と、「よ」の音が続きますので、この「節」の意味が歌全体に影響を与えていることになります。
ああ~。
「短さ」の象徴としての「節」が、何度も反復されているようなイメージだね。
そんな感じですね。
「芦」と「ふし」と「世」は、「縁語」の関係になります。
逢はでこの世を
「私とあなたが逢わないでこの世を~」ということですね。
「世」は、ここだけ見れば「男女の仲」という意味でとれますが、このあと「世を過ぐしてよ」と続きますので、「人の世」「人生」という意味でも解釈できます。
「世」は、音としてはさっき出てきた「節」も連想させるね。
そうですね。
その観点で、「このよ」の「よ」を、「世」と「節」の「掛詞」と考える立場もあります。
過ぐしてよとや
「てよ」は、「完了」の助動詞「つ」の命令形です。
「つ」の命令形はめったに見ませんんが、和歌や会話文ではこうやって使用されます。「~してしまえ」という意味ですね。
「と」は引用を表す助詞で、「や」は「疑問」を意味する係助詞です。
「過ごしてしまえと?」と聞いているわけだね。
まさにそういうふうに聞いているわけですね。
現代語訳をするうえでは、結びに「言ふ」とか「言ふらん」などが省略されていると考えて、「過ごしてしまえということか」とか、「過ごしてしまえとあなたは言うのだろうか」などと訳すといいですね。
なんか、ちょっと怒ってる感じの歌だね。
うん・・・、けっこう、怒ってるよね・・・。
まあ、「それくらい会いたい」って歌なんでしょうね。