が (まぎらわしい語の識別)

「が」というひらがなの見分けについて、まぎらわしいのは次の2つです。

「が」の識別

(1)格助詞

「体言」+「が」「格助詞」です。

ただし、「体言」「もの」「こと」「ところ」といった「なくてもわかる」ものの場合、表記されていないこともあります。

したがって、「活用語の連体形」+「が」というつながりを現代語訳する際に、「が」の直前に「もの」「こと」「ところ」などの形式名詞を補える(または「の」を補える)場合、「が」は「格助詞」だと考えましょう。

(2)接続助詞

もともと格助詞である「が」のうち、「まとまり」と「まとまり」をつなぐはたらきを持つようになったものが「接続助詞」「が」です。

先ほどみた「格助詞」というものは、「体言」が、後ろの述語(述部)に対して持つ役割を規定するものなので、格助詞の直前に「体言」が存在します。または「非表示の体言」を補うことができます。

その一方、「接続助詞」は、一般的に「主語ー述語」のまとまりと「主語ー述語」のまとまりをつなげるはたらきをするので、接続助詞の直前は原則的に「述語(述部)」になります。接続助詞の場合、「が」の直前に体言を補うことができません。

「活用語の連体形」+「が」というつながりを現代語訳する際に、「もの」「こと」「ところ」などの形式名詞を補うことができず、「~ので」「~が」「~(する)と」などと訳したほうが自然なものは「接続助詞」と考えられます。

助詞の分類について説明したページを貼っておこう。

例文

雀の子を犬君いぬき逃がしつる。(源氏物語)

(訳)雀の子を犬君逃がしてしまった。

(1)格助詞です。

直前に「犬君いぬき」という体言がありますね。「犬君」は「若紫(紫の上)」のお付きをしている童女です。

「が」は、ここでは「主格」の用法ですね。

いとやむごとなききはにはあらぬ、すぐれて時めきたまふありけり。(源氏物語)

(訳)それほど高貴な身分ではない方、際だって帝のご寵愛を受けていらっしゃる方があった。

(1)格助詞です。

現代語訳の際に、「が」の直前に「方」という形式名詞(体言)を補うことができます。

ここでは後半の「ありけり」の直前にも「方」を補うことができます。つまり、「が」の前の部分も、後ろの部分も、「同じ人物」についての説明をしていますので、「が」は「同格」の用法だと考えます。

でも、この例文の「が」なんかは、「接続助詞」に見えるけどな。

「まとまり」と「まとまり」をつないでいるようにも見えますよね。

ただ、現代語訳する際に「が」の直前に体言が必要になるので、「格助詞」と考えましょう。

豆知識的なことをいうと、「が」を「接続助詞」として用いるのは、平安時代後期からのことなので、『源氏物語』のころの「が」は、すべて「格助詞」の「が」と考えて大丈夫です。

このあとだんだん「接続助詞」としての「が」が芽生えてくるんだね。

そうですね。

『更級日記』くらいまでの「が」は「格助詞」と考えてOKです。

めでたくは書きてさうらふ、難少々候ふ。(古今著聞集)

(訳)上手には書いてございます、欠点が少々ございます。

(2)接続助詞です。

活用語の連体形についていて、「が」の直前に体言を補うことができません。

これは「接続助詞」における「逆接」の用法だといえますね。

粟津の松原へ駆け給ふ、正月二十一日、入相ばかりのことなるに、薄氷は張ったりけり。(平家物語)

(訳)(木曾殿は)粟津の松原へ馬を走らせなさる、(その時は)一月二十一日、夕暮のころであって、薄氷が張っていた。

(2)接続助詞です。

活用語の連体形についていて、「が」の直前に体言を補うことができません。

これは「接続助詞」における「単純接続」の用法だといえます。

このあと木曾殿の馬は、この薄氷の下にある深田にはまってしまいます。そこまでの文脈で考えると「馬を走らせたけれども、~深谷に馬を入れてしまった」となりますので、「逆接」の用法と考えてもOKです。