シラーっとしている
意味
(1)興ざめだ・がっかりだ・しらけている
(2)荒涼としている・殺風景だ・趣がない
(3)寒々しい・冷たい
(4)激しい・ものすごい
ポイント
「すさまじ」の「すさ」は、「荒む」「荒ぶ」の「すさ」と同じものです。
日本神話の「スサノヲ」の「スサ」も同根のことばだと言われています。
スサノヲというと、勢いがあって荒々しい神様のことだな。
そうです。
「スサ」というのは、「勢いに任せた荒々しさ」を意味しているんですね。
そのため、「すさむ」「すさぶ」「すさまじ」には、荒々しい勢いで物事が進んでいってしまうというニュアンスが根底にあります。
ということは、(4)の「激しい・ものすごい」って意味が主流なんだな。
それが……、案外その意味での使用法は少なくて、むしろ、「自分では止められない現象」に対して、「うわあ……マジかよ……」ってドン引きしている「心情」のほうを意味することが多いです。
そのため、「興ざめである」「がっかりだ」「しらけている」といった訳をするが多いです。
合唱祭の練習とかで、テンション上がりすぎちゃって、ぜんぜん違う音階を大音量で歌っている男子の集団を見て、女子が「うわあ……」ってなっているような状態かな。
そりゃあ、「興ざめだ」「がっかりだ」「しらけている」って訳すよね。
けっこう適切な例だと思います。
「すさまじ」は、根本的には、「心情」と「状況」の調和において「ハーモニーが成り立っていない」「不協和音だ」というようなイメージなんですよね。
そういう「不協和音」的な状況に対して「シラーっと思う心情」を示しているのが「すさまじ」だと考えましょう。
心に冷たい風が吹いているような心情かな。
まさにそうです。
ノリにまかせたギャグがすべっている人に対して、「なにそれ、寒……」って言うこともあるしな。
そうなんですよ。
実際に、目の前の風景が寒々しいものであったり、人物の態度が冷たい場合などに、それを「すさまじ」と形容することもあります。
基本的には、「興ざめだ」という「心情」を意味するうえで用いやすい形容詞ですが、「客観的な現象や行為そのもの」が「寒々しい・冷たい」という意味でも使われるようになっていったんですね。
そのことから、「すさまじ」に「冷」の字をあてることもあります。
そもそも、古文の形容詞って、「客観的な様子」なのか「それを見ている側の心情」なのか、くっきり分けづらいし、どっちで訳してもいい場合も多いもんね。
中世に入ると、④の「激しい・ものすごい」という意味で使用されるようになっていきます。
これは現在の意味とほぼ同じですね。
でも、もともと「スサ」が、「勢いがあって荒々しい」という意味合いだったわけだから、長い平安時代を経て、もともとの意味に戻ってきたような感じなんだね。
そうですね。
平安時代は、「勢いありすぎてしらけるわ」の「しらけるわ」のほうに意味の中心があるのですが、次第に、「勢いありすぎ」のほうの意味でも使われるようになっていくということですね。
ただ、④の意味は現在と同じなので、古文の問題で問われることはまずないです。
例文
梨の花、世にすさまじきものにして、近うもてなさず、はかなき文付けなどだにせず。(枕草子)
(訳)梨の花は、実に興ざめなものとして、身近に取り扱うこともせず、ちょっとした手紙を結び付けることすらしない。
すさまじきものにして見る人もなき月の、寒けく澄める二十日余りの空こそ、心細きものなれ。(徒然草)
(訳)殺風景なものとして見る人もいない月が、寒々と澄んでいる二十日過ぎの空は、ものさびしいものである。
入道殿はまことにすさまじからずもてなし聞こえさせ給へるかひありて、(大鏡)
(訳)入道殿は、本当にしらけた様子ではなく【冷たくはなく】もてなし申し上げなさったかいがあって、
すさまじき者の固めたる門へ寄せ当たりぬるものかな。(保元物語)
(訳)ものすごい者が守り固めている門に攻めてきてしまったものだよ。