いかで、鳥の声もせざらむ山にこもりにしがな。(宇津保物語)

〈問〉次の傍線部を現代語訳せよ。

ここにこもりはべりしことは、さて、はかなき様にて出で詣で来はべりにける身を、また知る人もなくて、年ごろもてわづらひて、三つばかりになりはべりにけるほどになむ、物思えはべりける。いかで、これを養はむと思ひはべりしかど、すべき方なくて見たまへしに、ただ、明け暮れ、「いかで、鳥の声もせざらむ山にこもりにしがな。いまや恐ろしくうとましき目を見むずらむ」と、「さかしらに、人ありと見て、人のうかがひなどするに、尋ね出でられて、親の御面ふせ、我が身も、いとどいみじくならむこと」と嘆き侍りしかば、年ごろここにこもりはべるなり。

宇津保物語

現代語訳

ここにこもっておりますことは、そうして頼りない様子で(この世に)出てまいりましたわが身を、やはり知る人もなく、長年の間何かと困っておりましたが、三歳くらいになりましたころに、(私は)物心がつきました。なんとかして、母を養おうと思いましたが、なすすべもなく見ておりますと、(母は)ただ明け暮れ、「なんとかして、鳥の声もしない山にこもりたいものだ。今にも恐ろしく嫌な目にあうだろう」と、「(誰かが)さしでがましく、人がいると見て、人が様子を見るなどもするので、尋ね来られて、親の面目もつぶれ、私の身も、ますますひどくなるようなこと」と嘆き悲しんでおりましたので、長年ここにこもっているのです。

ポイント

いかで 副詞

「いかで」は副詞です。

手段や原因を問うもので、「どうやって」「どういうわけで」と訳すことが基本ですが、「意志」や「願望」の表現を伴うと、「なんとかして(~しよう・したい)」という意味になります。

ここでは「にしがな」という願望の終助詞がありますので、「なんとかして」「どうにかして」などと訳しましょう。

む 助動詞

「文中連体形」の「む」は「仮定」または「婉曲」です。

「仮定」ならば、「鳥の声もしないとしたらその山に~」

「婉曲」ならば、「鳥の声もしないような山に~」

となります。

「文中連体形」の「む」は、「仮定」でも「婉曲」でも訳せるケースが多いのですが、

「む」の直後の体言が省略されていれば「仮定」で訳し、体言がそのまま存在していれば「婉曲」で訳す、というくらいのゆるいルールにしておきましょう。

ここでは「山」があるから、「婉曲」で取っておくということだな。

そうです。

ただ、体言があっても「仮定」にしたほうがよいケースや、体言がなくても「婉曲」にしたほうがいいケースといったものもありますので、前後の文脈をみて柔軟に考えましょう。

にしがな 終助詞(連語) 

「にしがな」は自己の「詠嘆的願望」を表し、「~したいものだ」「~してしまいたいなあ」などと訳します。

「に」+「しか」+「な」です。

同じように成立した言葉に「てしがな」「てしか」があります。

「願望」と「希望」という言葉が文法書によっては混在していますが、両者に意味としての大差はないので、「希望」と「願望」は同じことだと受け止めて大丈夫です。

したがって、選択肢問題で「ア 願望 イ 希望」となっていて、そのどちらかが正解になるというケースはありません。