いみじうにほひたる薄紅梅なるは、限りなくめでたし (枕草子)

〈問〉次の傍線部を現代語訳せよ。

 宮に初めて参りたるころ、もののはづかしきことの数知らず、涙も落ちぬべければ、夜々参りて、三尺の御几帳のうしろに候ふに、絵など取り出でて見せさせ給ふを、手にてもえさし出づまじう、わりなし。
 「これは、とあり、かかり。それが、かれが。」などのたまはす。高坏に参らせたる大殿油なれば、髪の筋なども、なかなか昼よりも顕証に見えてまばゆけれど、念じて見などす。いと冷たきころなれば、さし出でさせ給へる御手のはつかに見ゆるが、いみじうにほひたる薄紅梅なるは、限りなくめでたしと、見知らぬ里人心地には、かかる人こそは世におはしましけれと、おどろかるるまでぞ、まもり参らする。

枕草子

現代語訳

 (中宮様の)御所に初めて参上したころ、何かと恥ずかしいことがたくさんあり、涙も落ちてしまいそうなので、(昼間ではなく)夜ごとに参上して、三尺の御几帳の後ろにお控え申し上げていると、(中宮様が)絵などを取り出して見せてくださるのを、手も差し出すことができるはずがなく、どうしようもない。
 「この絵は、ああだ、こうだ。それが、あれが。」などと(中宮様が)おっしゃる。高坏にお灯し申し上げた灯火であるので、(私の)髪の毛の筋なども、かえって昼よりも目立って見えてきまりが悪いが、(きまりの悪さを)我慢して(絵を)見たりする。たいそう冷えるころであるので、(中宮様が)さし出しなさっているお手がかすかに見えるのが、たいそう美しく映えている薄紅梅の色であることは、このうえなくすばらしいと、(宮中のことを)見知らない(私のような)田舎者の気持ちには、このような(すばらしい)人が世の中にいらっしゃるのだなあと、はっとするほどで、(中宮様を)じっとお見つめ申し上げる。

ポイント

いみじ 形容詞(シク活用)

「いみじう」は、形容詞「いみじ」の連用形「いみじく」のウ音便です。

「いみじ」は、根本的には「並々でない」ということです。

プラス方面に用いていれば「すばらしい」、マイナス方面に用いていれば「ひどい」などと訳すことになります。

にほふ 動詞(ハ行四段活用)

「にほひ」は、動詞「にほふ」の連用形です。「美しく色づく」「美しく映える」という意味です。

たり 助動詞

「たる」は、助動詞「たり」の連体形です。「存続」「完了」の意味になります。

助動詞「り」と同様に、「存続」でも「完了」でも訳せる場合には、「存続」でとっておきましょう。

限りなし 

「限りなく」は、形容詞「限りなし」の連用形です。

「限度・際限」が「無い」ということなので、「この上なく」などと訳しましょう。

めでたし

「めでたし」は、形容詞「めでたし」の終止形です。

古文では最上級レベルの誉め言葉です。

「愛づ」+「甚し」=「愛でたし」であり、「並々でなく賞賛すべきもの」というニュアンスになります。

訳は「すばらしい」「立派だ」など、とにかくほめましょう。