主とおぼしき人は、いとゆかしけれど、見ゆべくも構へず。(源氏物語)

主とおぼしき人は、いとゆかしけれど、見ゆべくも構へず。(源氏物語)

 

〈問〉傍線部の古文を現代語訳せよ。

 

〈ポイント〉おぼし 形容詞

「おぼしき」は形容詞「おぼし」の連体形です。意味は、「~と思われる」「~と見受けられる」などとなります。

〈+α〉おぼす おぼし

「思ふ」に尊敬の意味を込めた尊敬語に「おぼす」という動詞があります。意味は「お思いになる」です。

その類語的な形容詞が「おぼし」です。そのため形容詞「おぼし」も、基本的には「敬語を使っておいたほうが無難な相手」に使います。

〈ポイント〉ゆかし 形容詞

「ゆかし」は「心引かれる」の意であり、文脈に応じて「見たい」「聞きたい」「知りたい」などと適訳します。

ここでは、下に「見ゆ」があることから、「ゆかし」も「見たい」と訳すことができます。

〈+α〉「ゆかし」と「いぶかし」

「ゆかし」は、動詞「行く」が形容詞化したもので、「魅力的だからそこに行きたい」という気持ちを表します。

その一方、「いぶかし」という言葉は、「はっきりしないことに対して気がかりに思う」ことから「見たい」「聞きたい」「知りたい」などと訳すことがあります。

このように、「ゆかし」も「いぶかし」も訳としては似たようなものになるときがありますが、「ゆかし」は魅力からくる好奇心であるのに対し、「いぶかし」は疑いからくる猜疑心です。

〈ポイント〉見ゆ

「見ゆ」は、ヤ行下二段活用動詞「見ゆ」です。基本的には「見える」と訳します。

直後に助動詞「べし」があるので、終止形になっています。

〈+α〉「見ゆ」と「見る」

「見ゆ」と「見る」は大きく異なる動詞です。

「見ゆ」は、「(Aガ)目に入る」「(Aガ)現れる」「(Aガ)人に見られる」ということであり、主語は「見られる側」になります。

「ゆ」という助動詞が上代にあり、主に「自発」や「受身」の意味をもちました。そのため「見ゆ」「覚ゆ(おぼゆ)」など「ゆ」がつく言葉は、「自然とそうなる」または「~される」というニュアンスを含みます。

「見ゆ」「おぼゆ」のニュアンスを整理しておきましょう。

「見ゆ」

「(対象が)目に入る」
「(対象が)現れる」
「(対象が、誰かに)見られる」

「おぼゆ」

「(ふと)思われる」
「(自然と)感じられる」

「似る」 *対象を見ることで、別の何かが思い出されるということ。

〈ポイント〉べし 助動詞

「べし」は、人称に応じて意味が変化しやすい助動詞です。

三人称に用いる場合「当然(はずだ)」「推量(だろう)」になりやすいと考えましょう。

下に打消し表現があれば、人称に関係なく「可能(できる)」の意味である可能性が高くなります。
その場合、結果的には「できない」と訳すことになります。ここでは下に打消表現を伴っていることと、前との文脈から「可能」と考えるのが適当です。

〈ポイント⑤〉

「構ふ」は「組み立てる」「相手をする」などさまざまな意味がありますが、ここでは文脈上、

a.(部屋を)しつらえている
b.(姿勢を)整えている

などの意味になります。前後との整合性が高いのはa.の解釈です。

解答例

主人と思われる人は(を)、とても見たいのだが、(人に)見られることができるようには(部屋を)しつらえていない。

かの国、ゆかしきにんじんありき。