いかなりけるにか、~
いかなりけるにか、かの琳賢は、基俊と仲悪しかりければ、「たばからん」と思ひて、ある時、『後撰』の恋の歌の中に、人もいと知らず耳遠き限り二十首を撰び出だして、書き番ひて、かの人のもとへ持て行きけり。「ここに、人の異様なる歌合をして、勝ち負けを知らまほしうし侍るに、墨付けて給はらん」とて、取りて出でたりければ、これを見て、『後撰』の歌といふ事ふつと思ひ寄らで、思ふままに、様々に難ぜられたりけるを、ここかしこに持て歩きて、「左衛門佐にあひぬれば、梨壺の五人が計らひもものならず。あはれ、上古にも勝れ給へる歌仙かな。これ、見給へ」とて、軽慢しければ、見る人いみじう笑ひけり。基俊返り聞きて安からず思はれけれども、かひなかりけり。
どういうわけであったのだろうか、あの琳賢は基俊と仲が悪かったので、「(基俊を)だましてやろう」と思って、ある時、『後撰和歌集』の恋の歌の中で、人もあまり知らず、聞きなれないものばかり二十首を選び出して、二首一組に【歌合の形式に左右に】書いて番えて、その人【基俊】のもとへ持って行った。「ここに、ある人が風変わりな歌合をして、勝ち負けを知りたいとしておりますので、墨をつけていただきたい【勝敗を書き記していただきたい】」と言って、取り出したので、(基俊は)これを見て、『後撰和歌集』の歌ということにちっとも思い寄らないで、思うままに、様々に批判なさったのを、(琳賢は)あちこちに持ち歩きまわって、「左衛門佐にかかってしまうと、(後撰集の撰者である)梨壺の五人の判断もものの数ではない【問題にならない】。ああ、(基俊は)はるか昔(の優れた歌人)よりも勝っていらっしゃる歌仙であるよ。これをご覧になれ」と言って、軽んじてばかにしたので、(基俊が評定した紙を)見る人はたいそう笑った。基俊はまわりまわって(その話を)聞いて心穏やかでなく思いなさったが、どうしようもなかった。

