心がそわそわ動きまわる
意味
(1)じれったい・待ち遠しい
(2)気がかりだ・不安で落ち着かない
(3)ぼんやりしている・はっきりしない
(4)かすかだ・ほのかだ・不十分だ・もの足りない
ポイント
「心」に、上代の副詞「もとな」がついた「こころもとな」という語に、最終的に「し」がついて形容詞化したものです。
「もとな」は、「むやみに」「やたらに」「しきりに」という意味なので、「心がむやみに動き回っている状態」のイメージです。そわそわしている感じですね。
「なし」が「無」じゃない「なし」のやつかな。
いえ。
「心もとなし」の「なし」は、根本的には「無」です。
どうしてかというと、「もとな」という語が、そもそも「もと(本・許)無」だからです。「根拠もなく」「理由もなく」「わけもなく」という意味なのですね。
そういう点で、たとえば、「いはけなし」「おぼつかなし」などのように、「いかにも〜である」「はなはだ〜である」という意味の接尾語「なし」がついてできた形容詞とは、考え方が異なります。
「もとな」の「な」が「無」の意味だったから、語の成り立ちとしては「無」の意味を含んでいるということなんだな。
そういうことです。
ただ、「もとな」という語が「むやみに・やたらに〜」という意味ですでに定着していましたから、語感としては、落ち着く場所がないことによって「心が動きまわっている」ほうに焦点があたっています。
もう少しふみこんで言うと、「こころもとなし」は、「期待」や「理想」のようなイメージがあって、それと「現実」とのギャップにそわそわしているような意味合いになります。
たとえば、ほんのちょっとだけ芽吹いている草花などに対して、「こころもとなし」と言う場合、「最終的に美しく咲いている様子」が胸のうちにあって、「ああ、もう、このまま枯れたりしないでよ! そわそわして心がむやみやたらに動くよ!」ということなのですね。
ふむふむ。
ちなみに、そういう気持ちって、「芽吹いてから」のほうが発動しませんか?
恋愛ドラマなんかも、「これ、恋に発展するかも」っていう「芽吹き」があってからが、いっそうそわそわしますよね。
「最終的にこうであってほしい」という「理想」に対して、「ほんのちょっとある」からこそ、心はそわそわ動きます。
そのことから、(4)のように、「かすかだ」「ほのかだ」という意味になることがあります。
その「かすかでほのかな状態」を不満に思っているような文脈では、「不十分だ」「もの足りない」などと訳すこともありますね。
さっきの恋愛ドラマの例でいえば、恋に発展しそうな二人が、線路沿いの道でばったり会うところで、「続きは次回」みたいな状態だな。
こころもとな!
(続きが気になって、じれったくて、心がむやみに動く)
こころもとな!
(二人の恋が実る最終形態に比べると進展がほんのわずかで、心がむやみに動く)
こころもとな!
(ここで今日の放送が終わるなんて不十分でもの足りなくて、心がむやみに動く)
こういう場面って、だいたい線路沿いだよね。
線路沿いか河原がロケしやすいのでしょうけれども、「河原」よりは「線路沿い」のほうが、偶然に出会う自然さがありますよね。同じ駅を使っている設定とか。
河原で偶然出会うとかないもんな。
さて、「こころもとなし」の類義語に「おぼつかなし」がありまして、こちらも「ぼんやりしている」「不安だ」「待ち遠しい」などと訳します。
ただ、見てきたように「こころもとなし」は、「期待」や「理想」とのギャップにそわそわして心がむやみやたらに動く様子を示すのに対し、「おぼつかなし」は、対象がぼんやりしていてよくわからないことに対する不安を示しています。
そのことから、④の「かすかだ」「ほのかだ」という意味は「おぼつかなし」にはありません。
例文
心ものあしく、ものの恐ろしき折、夜の明くるほど、いとこころもとなし。(枕草子)
(訳)気分が悪く、もの恐ろしく思う時は、夜が明ける時間が、たいそう待ち遠しい。
「朝」という「理想」が早く実現してほしいと、じれったく思っている状態です。
よろづいみじうおぼつかなう心もとなうおぼされて、(栄花物語)
(訳)何事もたいそう不安で気がかりにお思いになって、
「おぼつかなし」も「心もとなし」も「おぼされて」に係っていきますので、かなり似たニュアンスで使用されています。
「おぼつかなし」は、「ぼんやりしていてよくわからないなあ」ということであり、「心もとなし」は、「理想とのギャップにそわそわするなあ」ということですが、訳語はほとんど同じです。
こころもとなき日数重なるままに、白河の関にかかりて、旅心定まりぬ。(奥の細道)
(訳)不安で落ち着かない日数が重なるうちに、白河の関にさしかかって、旅心【旅の覚悟】が定まった。
少納言がもてなし、心もとなきところなう、心にくしと見たまふ。(源氏物語)
(訳)少納言のはからいは、不十分でもの足りないところがなく【行き届かないところがなく】、奥ゆかしいとご覧になる。
せめて見れば、花びらの端に、をかしきにほひこそ、こころもとなうつきためれ。(枕草子)
(訳)注意して見ると、花びらの端に、美しい色つやが、ほのかに【かすかに】ついているように見える。