別の面からも・・・
意味
二面的(多面的)に考えること
(1)やはり・そうはいってもやはり *対比的な用法
(2)また・それもまた・まして *並列的な用法
(3)ひょっとすると・もしかして *心配・危惧の気持ち
(4)それともまた・はたまた・あるいは *対比を接続詞のように用いる
「対比・並列・危惧」以外の表現として
(5)きっと・おそらく(~ない) *打消表現と呼応する
(6)なんとまあ・よくもまあ *強調・感嘆表現をつくる
ポイント
名詞「端」と同根のことばと考えらえています。「一面ではこうだ、別の一面ではこうだ」というように、物事の一面を複数考える場合の副詞です。
二つのものを見比べて、「やっぱり後のほうだよなあ……(対比)」と思ったり、「同じかなあ……(並列)」と思ったりするときに使用されます。
「前者A」に相反する内容である「後者B」をプッシュするのであれば、「そうはいってもやはり」という(1)の訳し方になります。
「前者P」を述べて、並列的に「後者Q」を述べるのであれば、「それもまた」という(2)の訳し方になります。
多くの場合、この(1)か(2)の用法になります。
(3)の「ひょっとすると」っていうのは、どういういきさつでこう訳すの?
(3)の用法は、
「いくつかの予想」のなかでも、「比較的悪い予想」を取り上げて、「ひょっとすると・もしかしてこうなるんじゃないか(そうなったらいやだなあ)」という場合に用いられます。
そのため、「心配」「危惧」などを示すときの用法だと言えます。
「心配」とか「危惧」とかいう気持ちは、根本には「さまざまな事態を考慮する」気持ちがありますから、「対比・並列」の類型です。
何かと何かを見比べることばなのに、どうしてそれが(5)(6)みたいないろいろな訳し方になるの?
現代にも、「また」という表現を強調句のように用いることがありますので、同じことだと思ってくれればいいです。
現代語でも「これまた何とも言えない!」とか、「またどうしてそうなるの?」とか、「いやはやまたすばらしい/しかしまた荒れたレースだなあ」とか言いますよね。
現代語では、「また」という言い方が、一種の強調句として機能する場面があります。古語の「はた」も、同じ使い方があるのだと思ってください。
ああ〜。
たしかに、現代語の「また」も、「対比」や「並列」ではない使い方があるね。
「そりゃまたどうして?」とか「またいったいなぜ?」とか言うもんね。
根本的には、「あれかな……これかな……」と、二面的に(ときには多面的に)あれこれ考えるときのことばが「はた」なのです。
しかしながら、それほど迷わずにひとつに決まる場合とか、逆に、考えすぎてもきりがない場合もありますよね。そういう「二面的・多面的な思考が実質上行われない」状況では、「はた」を、
「きっと 〜 ない」
「いったい、どうして 〜 ?」
「よくもまあ 〜 なことを!」
と訳すことがあるのですね。
「はた」という表現を使っているものの、状態としては「対比的思考の終了・不在」なのだといえます。
ああ~。
たとえば、「涙はたこらえられず」なんていう古文があるとして、その場合の「はた」は、「具体的な対比」ではなくて、「きっと涙をこらえられない」と言っている感じだもんね。
現代語でも、「こりゃまたひどい雨だ」なんていうときの「また」は、「具体的な対比」をしているわけではないから、「なんとまあひどい雨だ」なんていう「強調句」として使用されているわけだな。
それが(5)(6)の使い方です。
あまり難しく考えずに、「対比・並列・危惧」に該当していなければ、「きっと(〜ない!)」「なんとまあ(〜ことよ!)」というように、文脈にあう強調句をつけておけばいいですよ。
例文
日入り果てて、風の音、虫の音など、はた言ふべきにあらず。(枕草子)
(訳)日がすっかり暮れて、(聞こえてくる)風の音、虫の音など、(その趣きは)これもまた言いようがない。
もしはた、このたびばかりにやあらむとこころみるに、(蜻蛉日記)
(訳)もしかしてひょっとすると、(夫の来訪は)今度で最後であるだろうかと様子を見ていると、
いろいろ考えて、比較的悪い予想を取り出して、心配・危惧している用法です。
この「心配・危惧」の用法は、推量表現とセットになりやすいです。
この浅き道はたえ知られじ。我のみこそ知りたれ。(今昔物語集)
(訳)(敵は)この浅瀬の道はきっと【間違いなく】知ることがおできになるまい。私【平忠恒】だけが知っている。
「対比」「並列」「危惧」のどれにもあてはまらないので、強調句として考えます。
「きっと・間違いなく・おそらく」などと訳す時は、打消表現とセットになりやすいです。
など、その門はた、狭くは造りて住みたまひける。(枕草子)
(訳)いったいまたどうして、その門を狭く作ってお住まいになったのか。
「対比」「並列」「危惧」のどれにもあてはまらないので、一種の強調句として機能しています。
「感動」や「驚き」の文意に用いられている場合は、「いったい」「よくもまあ」「なんとまあ」などと訳しましょう。
いで、あな悲し、かくはたおぼしなりにけるよ。(源氏物語)
(訳)いやはや、ああ悲しい、このように(出家するなど)よくもまあご決心なさったことよ。
「対比」「並列」「危惧」のどれにもあてはまらないので、強調句として扱います。
「感動」や「驚き」といえますので、「よくもまあ」「なんとまあ」などと訳します。