〈問〉次の傍線部を現代語訳せよ。
(長者が帝釈天を軽んじる発言をしたところ、帝釈天は憎く思ったのだろうか、長者の姿になって、長者の蔵を開け放ち、周囲の者に宝物を配りはじめてしまった。そこに本物の長者が帰ってくる。)
蔵どもみなあけて、かく宝どもみな人の取りあひたる、あさましく、悲しさ、いはん方なし。「いかにかくはするぞ」とののしれども、我とただ同じ形の人出で来てかくすれば、不思議なること限りなし。「あれは変化の物ぞ。我こそ其よ」といへど、聞き入るる人なし。御門に愁へ申せば、「母上に問へ」と仰せあれば、母に問ふに、「人に物くるるこそ我が子にて候はめ」と申せば、する方なし。「腰の程に、ははくろといふ物の跡ぞ候ひし。それをしるしにご覧ぜよ」といふに、あけて見れば、帝釈それをまねばせ給はざらんやは。
宇治拾遺物語
現代語訳
蔵をすべて開けて、このように宝物をすべての人が取り合っている様子は、驚きあきれることであり、悲しさは、言えるほどではない。(長者は)「どうしてこのようにするのか」と大声でさわぐけれども、自分とただ同じ形の人が出てきてこのようにするので、不思議なことがこの上ない。(長者は)「あれは変化の物【化け物】だ。自分こそそうだ【長者だ】」と言うけれども、聞き入れる人はいない。帝に訴え申し上げると、「(長者の)母親に問いなさい」とおっしゃるので、母に質問すると、「他人に物を与えるほうが自分の子どもでございましょう」と申し上げるので、(長者は)どうしようもない。(長者の母が)「腰のあたりに、ほくろというものの跡がございました。それを証拠にご覧ください」というので、(着物を)開けて見ると、帝釈がそれを【ほくろを】まねなさらないだろうか、いや、そんなはずはない【まねしてある】。
ポイント
いかに 副詞
「いかに」は副詞です。
「どのように」または「どうして」と訳すことが多いです。
ここでは「どうして」「なぜ」と訳すのがいいですね。
かく 副詞
「かく」は副詞です。「このように」と訳します。
ののしる 動詞(ラ行四段活用)
「ののしれ」は、動詞「ののしる」の已然形です。
「大騒ぎする」「大声で騒ぐ」などと訳します。
「のの」が「大きい声を出す」ということで、「しる」は「思うままにする」ということだと言われます。
「みんなが大騒ぎするほどすごい」ということから、「評判になる」という意味でも使用されます。
まねぶ 動詞(バ行四段活用)
「まねば」は、動詞「学ぶ(まねぶ)」の連用形です。
「まねる」「まねをする」と訳します。
現代語の「学ぶ」は、もともと「お手本をまねる」ことを意味しているのですね。
せ給ふ 連語(最高敬語:二重尊敬)
す 助動詞
「せ」は、助動詞「す」の連用形です。
「す」には、「使役」「尊敬」の2つの意味がありますが、「〜せ給ふ」というセットになっている場合、9割くらいは「尊敬」の意味です。
「尊敬の助動詞」+「尊敬語」のセットであり、いわゆる最高敬語(二重尊敬)の用法になります。天皇など頂点の存在に対する敬語表現になります。ここでは「帝釈天」に対する最高敬語ですね。
給ふ 動詞(ハ行四段活用)
「給は」は、敬語動詞「給ふ」の未然形です。尊敬語です。
ず 助動詞
「ざら」は、助動詞「ず」の未然形です。
打消の助動詞「ず」には、本活用と補助活用がありますが、下に助動詞を伴う場合は補助活用を用います。「ざら」は補助活用の未然形ですね。
ん(む) 助動詞
「ん」は、助動詞「ん(む)」の終止形です。ここでの意味は「推量」です。
やは 係助詞(終助詞)
「やは」は、係助詞「や」+係助詞「は」ですが、「やは」で一語と考えて問題ありません。
「やは」は「疑問」「反語」の意味がありますが、「反語」になることが多いので、まずは「反語」で訳してみることをおすすめします。
特に、文末の「やは」は、「反語」で確定して大丈夫です。
係助詞「やは」が文末にある場合、「反語」専用と考えて問題ありません。
そのことからも、これを「終助詞」とする立場もあります。
文末用法の「やは」は、終止形または已然形につきます。