〈問〉次の傍線部を現代語訳せよ。
さて、土御門より東ざまに率て出だしまゐらせたまふに、晴明が家の前をわたらせたまへば、みづからの声にて、手をおびたたしくはたはたと打ちて、「帝王おりさせたまふと見ゆる天変ありつるが、すでになりにけりと見ゆるかな。参りて奏せむ。車に装束とうせよ。」といふ声聞かせたまひけむ、さりともあはれにはおぼしめしけむかし。「且、式神一人内裏に参れ。」と申しければ、目には見えぬものの、戸をおしあけて、御後ろをや見まゐらせけむ、「ただ今、これより過ぎさせおはしますめり。」といらへけりとかや。その家、土御門町口なれば、御道なりけり。
大鏡
現代語訳
そうして、(粟田殿が帝を)土御門大路を通って東のほうへお連れ出し申し上げられた時に、(安倍)晴明の家の前をお通りになると、晴明自身の声で、手を激しくぱちぱちと打って、「天皇がご退位なさると思われる天の異変があったが、すでに(ご退位は)定まってしまったと思われることだ。(宮中に)参内して申し上げよう。車に支度を急いでせよ。」と言う(晴明の)声を(帝は)お聞きになったであろう、そうであっても【覚悟のうえの出家であっても】、しみじみと感慨深くお思いになったことだろうよ。「とりあえず【何はともあれ】、式神一人内裏に参上せよ。」と(晴明が命じて)申し上げたところ、目には見えない者が、戸を押し開けて、(帝の)御後ろ姿を見申し上げたのだろうか、「ただ今、ここを(帝が)お通りになっているようだ。」と返事をしたとかいうことだ。その(晴明の)家は、土御門町口であるので、(帝がお通りになる)御道であった。
前後のお話しはこちら。
ポイント
かつがつ 副詞
漢字で書く場合、「且つ且つ」と当てることが多いのですが、「且」のみで「かつがつ」と読む場合もあります。
「且」という漢字を用いてはいますが、動詞「克つ」を重ねたものだと言われています。
「克つ」が「こらえる・できる」ということなので、「かつがつ」は「こらえこらえ」ということになります。
早急に対処しなければならない事態に対して、万全な対応とはいえないけれども、何とかして事にあたるような状況で用いられやすいです。
文脈的に、「とにかくまずは事にあたる」というニュアンスが強ければ「何はともあれ」「何はさておき」などと訳します。
文脈的に、「その場にふさわしい対応をする」というニュアンスが強ければ「とりあえず」「さしあたり」などと訳します。
ここでは、どちらで考えても文意が通りますので、「何はともあれ」などと訳しても、「さしあたり」などと訳しても、どちらでもOKです。
式神 名詞
「陰陽師」があやつる鬼神のことで、「陰陽師」の命令にしたがって様々な術をつかうと言われています。
「陰陽師」は、陰陽道の術で吉凶や地相のよしあしを占ったり、禊や祓に携わったりしました。
ここで出てくる「安倍晴明」は、現代でも有名な陰陽師ですね。
内裏 名詞
「内裏」は「帝のお住まい」のことです。
訳のうえでは、そのまま「内裏」と書いても問題ありません。
「宮中」としてもOKです。
ちなみに、「内裏」の読みは、『平家物語』や『徒然草』などでは「だいり」としていますが、『蜻蛉日記』や『枕草子』といった平安中期の文学では「うち」となっています。
これは、敬意の対象物や対象者を直接表現するのを避ける表現の一種で、平安時代の王朝文学では「内裏・宮中」「天皇・帝・主上」などを「うち」と表現することが多いです。
参る 動詞(ラ行四段活用)
「参れ」は、動詞「参る(まゐる)」の命令形です。
「参上する」と訳せばOKです。
ここでは向かう先が「内裏」ですので、「参内する」と訳してもOKです。
安倍晴明が式神に対して、「参上せよ!」と命じているのですね。
申す 動詞(サ行四段活用)
「申し」は、動詞「申す」の連用形です。
「安倍晴明」からすると、「式神」は「命じる対象」なのですが、ここでは謙譲語が用いられています。
「書き手」から、動作の客体である「式神」への敬意を示しています。
ただ、「申す」ということばは、かなり広く用いられますので、「敬意をこめている」というわけでもない使い方(「言ふ」に近い使い方)もけっこうありまして、対等の関係またはちょっと格下の対象であっても使うことがあります。
けり 助動詞
「けれ」は、「過去」の助動詞「けり」の已然形です。
「已然形」+「ば」の使い方なので、「確定条件」としての訳になります。
「申し上げたところ」「申し上げたので」などと訳しましょう。