こころにも あらでうきよに ながらへば こひしかるべき よはのつきかな
和歌 (百人一首68)
心にも あらでうき世に ながらへば 恋しかるべき 夜半の月かな
三条院 『後拾遺和歌集』
歌意
心ならずもこのはかない現世に生きながらえるならば、恋しく思い出されるにちがいない、そんな夜更けの月だなあ。
作者
作者は「三条院」です。
お父さんは「冷泉天皇」で、お母さんは「超子(藤原兼家の長女)」です。
一条天皇の次の天皇になるのか。
藤原兼家にとって、長女「超子」が「冷泉天皇」の中宮であり、次女「詮子」が「円融天皇」の中宮でした。円融系の「一条天皇」、冷泉系の「三条天皇」は、どちらも兼家の孫になります。
そのころ権勢をふるっていた藤原道長は、一条天皇から三条天皇に譲位される際に、定子の子である「敦康親王」ではなく、彰子の子である「敦成親王」を東宮にしてしまいます。
定子は道隆の娘であり、彰子は道長の娘です。本来であれば年長者の「敦康」が東宮になるべきところですが、道長は自分の孫である「敦成」のほうを「次期天皇」の立場にするわけです。
そのときに彰子が泣いて抗議したお話はこちら。
道長にとっては、敦成親王が即位すればいよいよ俺は帝のおじいちゃんだって気持ちなんだろうね。
さて、三条天皇の眼病を理由に、道長は退位をせまったとされます。
この歌はそんなときに詠まれたものです。
『後拾遺和歌集』の詞書には、「例ならずおはしまして、位など去らむと思しめしけるころ、月の明かりけるを御覧じて」とあります。
「ご病気でいらっしゃって、天皇の位を去ろうとお思いになったころ、月の明るかったようすを御覧になって」ということですね。
つらいけど、思い出に残るいい月だった。
ポイント
心にも
ここでの「心」は、「あらで」とつなげて考えると、「心にもなく」ということになりますから、「本心」とか「本意」といった意味になります。
三条天皇は神経性の眼病を患っており、道長に退位を迫られていた状況でありましたから、「現世」を「つらい場所だ」と思っていたのでしょうね。
あらでうき世に
「うき世」の「う」は、「憂」であり、「つらい世」という意味になります。
ながらへば
下二段動詞「ながらふ」の未然形+接続助詞「ば」です。
未然形+「ば」は「仮定条件」を意味しますので、「命を長らえるならば」などと訳します。
恋しかるべき
形容詞「恋し」の連体形「恋しかる」に、助動詞「べし」がついています。
「夜半の月」に係っていくので、連体形「べき」になっていますね。
ここでの「べし」は、「当然」の意味として「恋しく思うにちがいない」と訳しましたが、「推量」として「恋しく思うだろう」などと訳してもOKです。
夜半の月かな
「夜半」は、「夜中」「夜更け」の時間帯を示します。
「夜半の月」というと、特に月が美しいとされる秋に詠まれることが多いのですが、この歌は『栄花物語』によると、12月中旬ごろの夜に上の御局で中宮妍子と語りあいながら詠まれたようです。