家の作りやうは、夏をむねとすべし。冬はいかなる所にも住まる。(徒然草)

次の傍線部を現代語訳せよ。

家の作りやうは、夏をむねとすべし。冬はいかなる所にも住まる。暑きころ悪き住まひ、堪へがたきことなり。

現代語訳

家の作りようは、夏(に過ごしやすいこと)を主とするのがよい。冬はどんな所にも住むことができる。暑いころ、(作りが)悪い住まいは、堪えがたいことである。

ポイント

むねとす 連語

名詞「宗」+助詞「と」+サ変動詞の「す」です。

「中心とする」「主なものとする」「第一のものとして扱う」といった意味になります。

むね 名詞

「むね」は、名詞です。

漢字では「宗」と「旨」がありまして、

「宗」⇒「中心(的なこと)」「主要(なこと)」

「旨」⇒「内容」「趣旨」「肝心な中身」

といった意味になります。どちらも、身体の「胸」と同根の語だといえます。

「宗」は「メイン!」という意味合いで、盗賊のボスキャラのことなども「宗」と呼んだりしますね。

古文で「むねとす」という場合、「宗」のほうの意味であり、「中心とする」「主とする」という訳し方をします。

「夏の暮らしやすさをメインにするのがよい」という意味合いですね。

インターネットで検索すると、「夏を旨とすべし」という表現もけっこうヒットするのですが、古文の意味としては、ここは「宗」が適切です。おそらく現代語に「宗」という語彙がないので、「旨」のほうを代用したのでしょうね。

す 動詞(サ行変格活用)

「す」は、動詞「す」の終止形です。

「する」と訳せばよいのですが、文脈上、「扱う」「みなす」などと意訳する必要がある場合もあります。

べし 助動詞

「べし」は、助動詞「べし」です。

推量・意志・可能・当然・命令・適当

など、様々な意味がありますが、根本的な意味は「当然」です。

さて、会話の相手などの「二人称」に対して、「そうするのが当然だよ」という感じで話す場合、「上位者から下位者」に話しているのであれば「命令(~せよ)」と分類し、「下位者から上位者」あるいは「同等の者」に話しているのであれば「適当(~するのがよい)」と分類するのが、一般的な考え方です。

ここでは、「文書」という媒体を用いて、不特定の読者(任意の二人称)に話しかけているわけですから、上下関係はないと考え、「適当」で訳すのが望ましいです。

いかなり 形容動詞

「いかなる」は、形容動詞「いかなり」の連体形です。

「いか」は、状態・性質・方法などが不明であることを示す語です。

「いかなり」という形容動詞は、「どうである」「どのようだ」という意味になりますが、基本的には「問いかけ」に用いられるので、「終止形」で文に登場することはほぼありません。

「いかならむ」「いかなるべし」などのように、推量系の助動詞とセットになって、「問いかけ」に使用されます。「どうだろう?」ということですね。

あとは、

連用形「いかに」 ⇒ どう・どのように・どうして
連体形「いかなる」⇒ どのような・どんな

の用い方がほとんどですね。

この場合、「いかに」は「副詞」と考えるほうが一般的です。

体言を修飾する「いかなる」は、「連体詞」とみなす考え方もあります。

る 助動詞

「る」は、助動詞「る」の終止形です。

「る」は、原初的には「自発」「受身」であり、「意志とは無関係にそうなってしまう現象」に用います。

「ものも言はず」などのように、打消表現とセットになると、「不可能」の文意となり、「~することができない」という訳し方が適切になります。文意のまとまりとしては「不可能」であることを示しているのですが、「れ」だけを取り出すと「できる」の要素に該当しているので、この場合の「れ」の意味を「可能」と分類します。

このように「可能」の意味は、原理的には「打消表現」とセットになって、まとまりとしては「できない」という文意で用います。ところが時代が下り、鎌倉時代くらいになると、その法則が崩れていって、打消表現を伴わない「る」も登場するようになります。

『徒然草』の「冬はいかなる所にも住ま」という部分は、その例文としてよく用いられるところですね。