今日は「仁和寺にある法師」にある動詞を確認していきましょう。
ようし。やってやるぞ。
では本文です。
仁和寺にある法師、年よるまで石清水を拝まざりければ、心うく覚えて、ある時思ひ立ちて、ただひとりかちより詣でけり。
徒然草
極楽寺、高良などを拝みて、かばかりと心得て帰りにけり。
さてかたへの人にあひて、
「年頃思ひつることはたし 侍りぬ。聞きしにも過ぎて尊くこそおはしけれ。そも、参りたる人ごとに山へ登りしは、何事かありけむ。ゆかしかりしかど、神へ参るこそ本意なれと思ひて、山までは見ず」とぞ言ひける。
少しのことにも、先達はあらまほしきことなり。
赤字と青字が動詞です。
とりあえず、赤字はいったん無視して、青字を「ひらがなで終止形」にしてみてください。
たしか、ほとんどの動詞は、「連用形」の語尾を「u音」にすれば、「終止形」になるんだったな。
OKです。
「て」とか「けり」とか「にけり」といった表現の直前は「連用形」になることは前回学習しましたね。そして、その「連用形」の語尾をそのまま「u音」にすると「終止形」になるということを学びました。
例外は20個くらいと言っていたな。たしか。
そうです。その「例外」が、赤字になっている動詞です。
先に言ってしまうと、「例外」は次の動詞です。
これで全部か?
他にもなくはないのですが、用例が少ないので、ひとまずこれらを覚えておけば平気です。
ここに挙がっているもの以外の動詞は、「連用形」の語尾を「u音」にすれば「終止形」になるのだな。
そのとおりです。
さて、「あり」という動詞や、「侍り(はべり)」という動詞は、「終止形」が「u」の音にならないのです。
「あり」の終止形は「あり」です。
「侍り」の終止形は「はべり」です。
古文の動詞には、このように、「終止形」が「ーり」になるものが4つだけあります。
「あり・をり・はべり・いまそかり」です。
「いまそかり」は「いまそがり」「いますかり」「いますがり」などと表記することもありますが、いずれにしても実際の用例は非常に少ないです。まずは「あり」「をり」「はべり」を覚えておくことが大切ですね。
この4つの動詞は「ラ行変格活用」と言います。
「見る」は、「て」がつくと、「見て」になるから、「連用形」は「見」ということになるんだな。
でも、「み」をそのまま「u音」にして「む」にすると変だね。
ええ。
「連用形」は「み」ですが、「終止形」は「みる」です。
「上一段活用」と言いまして、十数個あります。
現代語訳
仁和寺にある法師が、年をとるまで石清水(八幡宮)を拝まなかったので、残念に思われて、ある時思い立って、ただ一人徒歩で参詣した。
極楽寺、高良神社などを拝んで、(石清水八幡宮は)これだけと納得して帰った。
さて(仁和寺にある法師は)仲間に会って、
「長年思っていたことを、果たしました。聞いていた以上に、尊くいらっしゃった。それにしても、お参りに来た人それぞれが山へ登ったのは、何事があったのだろうか。知りたいと思ったけれど、神へお参りすることが本来の目的であると思って、山までは見ない」と言った。
ちょっとしたことでも、案内人はあってほしいことである。