すずろに言ひちらすは、さばかりの才にはあらぬにやと聞え、(徒然草)

〈問〉次の傍線部を現代語訳せよ。

年老いたる人の、一事すぐれたるざえのありて、「この人の後には、誰にか問はん」など言はるるは、老の方人にて、生けるもいたづらならず。さはあれど、それもすたれたる所のなきは、一生この事にて暮れにけりと、つたなく見ゆ。「今はわすれにけり」と言ひてありなん。大方は知りたりとも、すずろに言ひちらすは、さばかりの才にはあらぬにやと聞え、おのづから誤りもありぬべし。「さだかにもわきまへ知らず」など言ひたるは、なほまことに、道の主とも覚えぬべし。まして、知らぬ事、したり顔に、おとなしく、もどきぬべくもあらぬ人の言ひ聞かするを、「さもあらず」と思ひながら聞きゐたる、いとわびし。

徒然草

現代語訳

年老いた人が、一つのことに優れた才能があって、「この人の死後には、(その分野のことを)誰に尋ねようか」などと言われることは、(こういう人は)老いの味方であって、(長く)生きるのもむだではない。そうではあるが、そういう人でも、衰えている所がないのは、一生この事だけをして老いたのだと、つまらなく思われる。「今は忘れてしまった」と言っておくのがよい。だいたいのことは知っているとしても、(それを)むやみやたらに言い散らすのは、それほどの才能ではないのであろうかと思われ、(またその放言には)きっと自然に間違いも出るだろう【自然と失言もしてしまうだろう】。「はっきりとは分別して理解してはいない」などと言っているのは、やはり本当に、(その)道の第一人者とも思われるはずだ。まして、知らない事を、得意顔で、年配で、(それゆえ)批判することもできそうにない人が言い聞かせるのを、「そうでもない」と思いながら聞いているのは、たいそうつらい【やりきれない】。

ポイント

すずろなり 形容動詞(ナリ活用)

「すずろに」は、形容動詞「すずろなり/そぞろなり」の連用形です。

「漫然」の「漫」をあてる語であり、「目的・理由・根拠・意図などがない」状態を示しています。

基本の意味は「あてもない」ということですが、「すずろに(そぞろに)」という連用形で使用している場合には、「むやみに」「やたらに」という訳をすることが多いです。

ここも、「むやみやたらに」などと訳しておけばOKです。

才 名詞

「才」は、名詞「ざえ」です。

主に「学問の才能」「漢学の才能」を意味することばですが、一般的な文脈では、シンプルに「才能」と訳しておけば問題ありません。

なり 助動詞

「才は」の「に」は、「断定」の助動詞「なり」の連用形です。

「名詞(体言)」+「に」+「助詞」+「あり」という連なりにおける「に」は、「断定」の助動詞「なり」の連用形「に」であると考えます。

ず 助動詞

「ぬ」は、助動詞「ず」の連体形です。意味は「打消」です。

文法上は、うしろに「こと」などの形式名詞が省略されていると考えられます。

そのため、「こと」を補って訳せば、「それほどの才能ではないことであろうか」となります。

この形式名詞の「こと」を準体言の「の」におきかえて、「それほどの才能ではないであろうか」などとすると、日本語訳としてはなじみやすいですね。

なり 助動詞

「あらぬや」の「に」は、断定の助動詞の「なり」の連用形です。

先ほど述べたように「あらぬことにや」の「こと」が省かれています。

さらに、「にや」の後ろに「あらむ」が省略されていると考えられます。

つまり、省略をそれぞれ補うと、

あら ぬ こと  や あら
     体言        

という、「体言」+「に」+「助詞」+「あり」のパターンになります。

したがって、ここでの「に」は、断定の助動詞「なり」の連用形とみなされます。

や 係助詞

「や」は、係助詞です。「疑問」「反語」の意味になりますが、ここでは文脈上「疑問」です。

前述したように、ここは、「〜にやあらむ」の「あらむ」が省略されているパターンです。

きこゆ 動詞(ヤ行下二段活用)

きこえ」は、動詞「きこゆ」の連用形です。

ストレートに「聞こえる」と訳してもOKですが、ここでは考えている内容についていますので、「思われる」と訳すのがいいですね。