たきのおとは たへてひさしく なりぬれど なこそながれて なほきこえけれ
和歌 (百人一首55)
滝の音は 絶えて久しく なりぬれど 名こそ流れて なほ聞こえけれ
大納言公任 『千載和歌集』
歌意
滝の音は、途絶えてもう長い年月が経ってしまったが、その名声は世間に流れて、今なお評判になっていることだなあ。
作者
作者は「大納言公任」です。「藤原公任」のことです。
関白太政大臣「藤原頼忠」の長男であり、円融天皇・花山天皇の時代には順調に出世していきました。
しかし、一条天皇の即位に際して、その祖父「藤原兼家」が実権を持っていき、兼家は息子の「道隆」「道兼」「道長」を昇進させていきます。「道長」は「公任」と同い年です。
花山天皇の時代には、公任のほうが道長よりも位階が上でしたが、一条天皇即位の翌年には、道長が従三位まで一気に昇進したことで、道長のほうが上位になりました。
道長に追い越されちゃったんだな。
とはいえ、公任の才能の誉れはたいへんなものでした。
『大鏡』には次のエピソードがあります。
なんでもできて優秀だったんだなあ。
ポイント
滝の音は
『千載和歌集』の詞書きには、「大覚寺に人あまたまかりたりけるに古き滝を詠み侍りける」とあります。
嵯峨天皇が離宮に「大沢池」という池を造ったのですが、そこに流れ入る人工の滝も造ったのですね。なにしろ嵯峨院の離宮ですから、この滝も立派なものとして有名であったようです。
この離宮嵯峨院は、のちに大覚寺となりました。大沢池は今なお健在ですが、公任の時代には滝はほぼ枯れてしまっていたそうです。
ちなみに同時代の赤染衛門は次のように詠んでいます。
あせにける いまだにかかる 滝つ瀬の 早くぞ人の 見るべかりける
「勢いが衰えてきた、いまでも(岩に)かかる滝の流れを、早く人が見なければならないなあ」ということですね。
「早く見ておかないとなくなっちゃうよ」ということでしょうね。
ちょろちょろ流れていたのかな。
雨が降ったあとだけ流れるとか、そんな感じだったのかもしれませんね。
絶えて久しく
赤染衛門の歌から考えると、滝は「あせにける(衰えた)」状態であったことになりますから、往時の「音」はしなかったのでしょうね。
「音がなくなってずいぶん経った」ということなんだな。
なりぬれど
「なり」は、動詞「なる」の連用形で、「ぬれ」は完了の助動詞「ぬ」の已然形です。
「ど」は逆接の接続詞なので、「なってしまったが」ということですね。
名こそ流れて
「名は世間に流れて」
ということなので、名声がとどろいていたのでしょうね。
「こそ」は係助詞なので、結びは已然形になります。
「流れ」は「滝」の縁語です。
この歌によって、大覚寺の滝があったところを「名古曽の滝」と呼ぶようになりました。
なほ聞こえけれ
「なほ」は、「依然として」「相変わらず」という意味の副詞です。
「聞こえ」は、動詞「聞こゆ」の連用形です。
「申し上げる」という謙譲語として用いる場合も多いのですが、ここでは素直に「聞こえてくる」という意味になります。
「世間のあいだでよく耳に聞こえてくる」ということから、「評判になる」「有名である」などと訳してもOKです。
「けれ」は、助動詞「けり」の已然形です。
係助詞「こそ」があるので、結びが已然形になっています。
「けり」には、「過去」の意味と「詠嘆」の意味がありますが、和歌や会話文では高確率で「詠嘆」になります。
ここも「詠嘆」の用法ですね。この「詠嘆」の用法を「〈気づき〉のけり」と呼ぶこともあります。
まとめると、「依然として耳に聞こえてくるなあ」といった訳になります。