人のけしきぞありしにもにぬ(建礼門院右京大夫集)

〈問〉次の傍線部を現代語訳せよ。

とにかくにもののみ思ひ続けられて、見出だしたるに、まだらなる犬の、竹の台のもとなどしありくが、昔、内の御方にありしが、御使などに参りたる折々、呼びて袖うち着せなどせしかば、見知りて馴れむつれ、尾をはたらかしなどせしに、いとようおぼえたるにも、すずろにあはれなり。

犬はなほ 姿も見しに かよひけり 人のけしきぞ ありしにも似ぬ

健礼門院右京大夫集

現代語訳

あれこれともの思いばかり続けられて、(外を)見たところ、まだらの犬が、竹の台のもとなどを動きまわる姿が、昔、内の御方【高倉天皇】にいた犬が、(私が、中宮の)お使いなどに参上した折々に、呼んで袖を着せる【かぶせる】などしたので、(私を)見知って慣れ親しんで、尾を振ったりなどした犬に、たいそうよく似ていることにも、むやみに感慨深くなる。

犬はやはり 姿もかつて見たものだが【昔の犬と似ているが】(会いに)かよった人の様子は 以前に似ていない

ポイント

けしき 名詞

「けしき」は「気色」と書きます。

「色」という語からもわかるように、「見た目」の様子を示します。

意味は「様子」と書いておけばだいたい大丈夫ですが、人に対して使うのであれば、「表情」「態度」「品格」などと訳すこともあります。

「けしき」と「けはひ」

実際に見えているものの様子を表すのが「けしき」であり、目には見えない雰囲気としての様子を表すのが「けはひ」です。どちらも「様子」と訳してよいのですが、ニュアンスは異なるので注意しましょう。

ありし 連語(連体詞)

「ありし」は、ラ変動詞「あり」に、過去の助動詞「き」の連体形「し」がついたものです。連語ですが、一語の連体詞と考えることもできます。

「存在し」「た」という意味であり、訳としては「以前の」「かつての」「昔の」などとすることが多いです。

ず 助動詞 

文末の「ぬ」は、打消「ず」です。

文中に「ぞ」があるので、連体形で結ばれています。

今回の例文では「ぞ」があるので、「係り結びの法則」により、「結び」が連体形になっていますね。

なお、和歌などでは、「係り結び」が起きていないのに、結びが「連体形」になることがあります。「連体形止め(連体止め)」という技法です。「後ろに何かの体言があるのかな」と想像させるため、余情・余韻の効果があり、詠嘆・驚きを表すようにもなりました。和歌に使用されやすい技法ですが、中世からは会話文中にもしばしば登場します。近世に入ると、地の文にも見られるようになります。