〈問〉次の傍線部を現代語訳せよ。
犬いみじう鳴く声のすれば、「何ぞの犬の、かく久しう鳴くにかあらむ。」と聞くに、よろづの犬、とぶらひ見に行く。御厠人なる者走り来て、「あないみじ。犬を蔵人二人して打ちたまふ。死ぬべし。犬を流させたまひけるが、帰り参りたるとて調じたまふ。」といふ。心憂のことや、翁丸なり。
枕草子
現代語訳
犬がはなはだしく鳴く声がするので、「どのような犬が、こんなに長々と鳴くのだろうか。」と聞いていると、たくさんの犬が、(その様子を)たずねて見に行く。御厠人【宮中の厠を清掃する人】である者が走ってきて、「ああひどい。犬を蔵人が二人でお打ちになる。死んでしまうだろう。犬をお流しになった【流罪になさった】のが、帰って参ったといってこらしめていらっしゃる。」と言う。かわいそうなことよ、(その犬は)翁丸である。
お話の前後はこちら。
ポイント
流す 動詞(サ行四段活用)
「流さ」は、動詞「流す」の未然形です。
「流す」は現代語と同じく「(水に)流す」という意味ですが、古文で出てくると「流罪にする」「島流しにする」という場合がけっこうあります。
この場面の前に、「犬の翁丸」が「一条天皇の猫」をおどかしたことによって、天皇がお怒りになり、「犬島に流せ」と命じるくだりがあります。流罪として島流しにしているのですね。
普通に「お流しになる」と訳しても問題はないのですが、状況的に「流罪になさる」「島流しにしなさる」などと訳してもOKです。
せたまふ 最高敬語
す 助動詞
「せ」は、助動詞「す」の連用形です。
「す」は「使役」「尊敬」の意味がありますが、「す」に尊敬語「たまふ」がついて、「~せたまふ」というセットになると、「尊敬」の意味として扱うことがほとんどです。下接している「たまふ」を強めているような使い方ですね。
「尊敬」の助動詞「す」+尊敬語「たまふ」という二重の尊敬表現になりまして、天皇・皇后・皇太子といった「最高クラス」の人にしか使用しません。「最高敬語」といいます。
ただ、明らかに誰かに何かをさせている文脈であれば、助動詞「す」を「使役」でとって、「~させなさる」と訳すこともあります。
この場面でも、天皇自らが犬を連れていくはずはなく、「仕える者」に命じて連れていかせたわけですから、この「せたまふ」の「せ」を「使役」と考えても間違いとは言えません。
たまふ 動詞(ハ行四段活用)
「たまひ」は、敬語動詞「たまふ」の連用形です。
尊敬語です。
ここでは補助動詞なので、「お~になる」「~なさる」「~ていらっしゃる」などと訳します。
けり 助動詞
「ける」は、「過去」の助動詞「けり」の連体形です。
参る 動詞(ラ行四段活用)
「参り」は、敬語動詞「まゐる」の連用形です。
謙譲語です。
通常は「参上する」と訳すのですが、「帰り参る」となる場合、「(貴人のもとからいったん離れて、そこに)帰って来る」と訳すことになります。
ほとんどの辞書には「帰って来る」と載っているので、そのとおり「帰って来る」と訳して問題ないのですが、謙譲語のニュアンスを出したければ「帰って参る」としてもOKです。
たり 助動詞
「たる」は、「存続・完了」の助動詞「たり」の連体形です。
「存続(~ている)」でも「完了(~た)」でも訳せる場合には、「存続」でとっておくのが無難です。
ただ、今回の例文では、「帰って来る」という「点的な行為」についているので、「完了」と考えて「帰って参った」としておきましょう。
調ず 動詞(サ行変格活用)
「調じ」は、動詞「てうず」の連用形です。
「調ず」は、「秩序にしたがい整える」という意味合いの動詞です。
人を困らせる「動物」や「物の怪」などに用いると、「こらしめる・調伏する」という意味になります。
ここでも「こらしめる」がいいですね。
たまふ 動詞(ハ行四段活用)
「たまふ」は、敬語動詞「たまふ」の終止形です。
尊敬語です。
ここでは「調ず」を補助している補助動詞なので、「お~になる」「~なさる」「~ていらっしゃる」などと訳します。