ひたぶるなり【一向なり・頓なり】 形容動詞(ナリ活用)

しゃにむに一点集中!

意味

(1)ひたすらだ・一途だ・むやみ(やたら)だ

(2)強引だ・向こう見ずだ・乱暴だ

連用形の副詞的用法として

(3)すっかり(~する)

(4)まったく(~ない)・いっこうに(~ない)

*副詞的用法は、「完全に」という意味合いで用いられているもので、打消表現を伴う(4)の用法が多い。

ポイント

「ひたぶるなり」「ひた」は、「ひたすら」「ひたむき」などの「ひた」と同意であり、もとは「一(ひと)」であると言われています。「ぶる」は、「そのようにふるまう」ということなので、「ひたぶる」は、「一つのことばかりしている=一途である」という意味合いになります。

連用形「ひたぶるに」の形で用いられやすく、「ひたすら」「いちずに」「むやみに」などと訳出することが多いです。

「他に何があっても構わずにそれだけを押し通す」という点で、「強引」「乱暴」という意味合いで用いられることもあります。

じゃあ、「直垂ひたたれ」の「ひた」とかも、もとは「ひと」なのかな。

「まっすぐ」という意味で用いられるひたのもとがひとだと考えられていますので、そういうことになりますね。

「ひたみちなり」なんて言葉もあったね。

直道ひたみちなり」と書きますが、「ひた」のもとは、「ひたぶる」と同様に「ひと」だと言われていますね。

意味も「ひたぶるなり」と同じで「一途だ」「ひたむきだ」「すっかり」「まったく(~ない)」などとなります。

ちなみに、「常陸国ひたちのくに」の「ひたち」も、「ひたみち(まっすぐな道)」から来ているという説があります。たしかに、今でも常磐道って、まっすぐですよね。

まっすぐな道の国ってことだったのか。

常陸国風土記による「ヤマトタケルが井戸を掘らせた際に衣の袖を水に浸した場所」という説もあります。「ひたし」が「ひたち」になったということですね。

この説を背景にして、和歌においては、「衣手の」は「常陸」の枕詞になっています。

例文

親ののたまふことを、ひたぶるにいなび申さむことのいとほしきに、(竹取物語)

(訳)親がおっしゃることを、ひたすら【むやみに】お断り申し上げるようなことが気の毒であるので、

海賊のひたぶるならむよりも、かの恐ろしき人の追ひ来るにやと思ふに、せむかたなし。(源氏物語)

海賊で、向こう見ずである【乱暴である】ような者よりも、あの恐ろしい人(大夫監たいふのげん)が追ってくるのではないかと思うと、どうすることもできない(気持ちだ)。

びんは失せにたれば、ひたぶるになし。(宇治拾遺物語)

(訳)髪の両側の毛は抜けてしまったので、まったくない

下に打消表現を伴う「副詞的用法」です。

「(存在が)ないこと」「(行為を)しないこと」などの「なさ」の程度を強調し、「ひたすら・ない」と言っていることになります。

現代語訳としては、「まったく(~ない)」「いっこうに(~ない)」「すっかり(~ない)」などとするのが自然です。

ひとへに語らひの甘き味はひにおぼれ、ひたぶるに夜の明けむことを忘る。(常陸国風土記)

ひたすら語り合いの甘い味わいにおぼれ、すっかり夜が明けるようなことを忘れる

「ひたぶるに」という形で、「完全に」という意味合いで用いられているものは「副詞的用法」と考えます。

ただ、そのほとんどは、ひとつ前の例文のように「下に打消表現を伴うもの」になります。