む / ん 助動詞

I will・・・

意味

(1)【推量】 ~だろう・~ろう

(2)【意志】 ~しよう・~よう

(3)【適当・勧誘】 ~がよい・~しよう・~したらどうか

(4)【仮定・婉曲】 ~としたら・~ような

ポイント

助動詞「む(ん)」は、その出来事が「未確定・未確認」であることを示します。

「これからしようと思っていること」「おそらくそうだろうと思っていること」などを、「む(ん)」で表していることになります。

文末用法の場合、だいたい次のように区別します。

一人称 ⇒ 意志
二人称 ⇒ 適当・勧誘
三人称 ⇒ 推量


ただ、一人称行為であっても「推量」がふさわしい場合などもありますので、上の区別は「絶対」ではありません。

文末用法ってことは、句点(。)の直前ってことだな。

そうです。

あとは、文内文(セリフ・心内文・引用)などの終了地点は、句点(。)がなくても文末用法になります。

カギカッコ(」)を閉じていれば当然文末ですが、


とて
として
と言ふ
と思ふ
とぞ
など


といったことばにも注意してください。

雪降らと思ふ。

であれば、「む」は事実上文末ということだな。

いわゆる「文内文(引用)」の文末になりますね。

あとは、「む」は、「確述(強意)」の意味の「つ」「ぬ」について、「てむ」「なむ」というかたちになることが多いので、連語のような感覚で覚えておくほうがいいですね。

きっと~しよう(だろう)

ってやつだな。

ところで、今までの話に「仮定・婉曲」が出てきていないな……

「仮定・婉曲」は、「文末用法」ではなく、「文中連体形」の用法になります。

たとえば、「花咲かとき」であれば、「花が咲くようなとき(婉曲)」「花が咲くとしたらそのとき(仮定)」などと訳します。

「仮定」と「婉曲」の区別はあいまいで、どちらでも訳せてしまうことも多いのですが、直後の体言が未記載であれば「仮定」、しっかり書いてあれば「婉曲」になる傾向があります。

ただ、本質的には「仮定」なので、体言が明示されていても「仮定」で訳す場合はあります。

(a)文中連体形の「む」は「仮定・婉曲」
(b)直後の体言が書かれていないときは「仮定」
(c)直後の体言が書いてあれば「婉曲」
(d)(c)は「仮定」で訳せるなら訳してもOK

そういう考え方がベストです。

くわしくはこちらをどうぞ。

例文

「少納言よ、香炉峰の雪いかなら」と仰せらるれば、(枕草子)

(訳)「少納言よ、香炉峰の雪がどうであるだろう」とおっしゃるので、

男も女も恥ぢかはしてありけれど、男はこの女をこそ得と思ふ。(伊勢物語)

(訳)男も女も恥ずかしがっていたけれど、男はこの女を手に入れよう【妻にしよう】と思う。

心づきなきことあら折は、なかなかその由をも言ひて。(徒然草)

(訳)気に入らないことのあるようなときは、かえってその理由まで言ったほうがよい

1つ目の「ん」は、「文中連体形+体言明示」なので、「婉曲」で訳すのが妥当です。

ただ、これを「仮定」でとって、「気に入らないことがあるとしたらそのときは」と訳しても問題ありません。

2つ目の「ん」は、「文末用法」です。二人称(ここでは不特定の聞き手・読み手)に向けてのことばなので、「適当」と考えます。

思は子を法師になしたらこそ心苦しけれ。(枕草子)

(訳)(いとしく)思うような子を法師にしたとしたら、それは気の毒だ。

1つ目の「む」は、「文中連体形+体言明示」なので、「婉曲」でとります。これを「仮定」で訳そうとするとちょっと不自然になりますね。

2つ目の「む」は、「文中連体形(体言未記載)」なので、「仮定」でとります。