九月ばかり 『枕草子』 現代語訳

陰暦九月ながつき(長月)は、季節でいうと「晩秋」にあたります。

文中に出てくる「萩」は、柔らかい枝に小さな葉がびっしり並びますので、そもそもその重みでお辞儀しているように見えますね。その葉に露がつくと、いっそう下に垂れ下がるようになります。

花は咲き終わっている頃合いだと思います。

九月ばかり、~

九月ながつきばかり、夜一夜降り明かしつる雨の、今朝はやみて、朝日いとけざやかにさし出でたるに、前栽の露はこぼるばかりぬれかかりたるも、いとをかし。透垣の羅文、軒の上などは、かいたる蜘蛛の巣のこぼれ残りたるに、雨のかかりたるが、いみじうあはれにをかしけれ。

(陰暦)九月のころに、一晩中降り明かした雨が、今朝はやんで、朝日がたいそうあざやかに差し出たときに、庭の植え込みの露はこぼれるほどに濡れてかかっているのも、たいそう趣がある。透垣の羅文や、軒の上などは、かけ渡した蜘蛛の巣が破れ残っているところに、雨がかかっているのが、白い玉を(糸で)貫いたようであるのは、たいそうしみじみと趣深い。

少し日たけぬれば、~

少し日たけぬれば、萩などのいと重げなるに、露の落つるに枝うち動きて、人も手触れぬに、ふと上ざまへ上がりたるも、いみじうをかし、と言ひたることどもの、「人の心にはつゆをかしからじ。」と思ふこそ、またをかしけれ。

少し日が高くなると、萩などが(露のせいで)たいそう重たげであるが、露が落ちると枝がちょっと動いて、人も手を触れないのに、ふと上のほうへ(枝葉が)はね上がるのも、たいそう趣がある、と言っていることなどが、「(他の)人の心にはまったくおもしろくあるまい。」と思うことは、またおもしろい。