しょっぺえ状況がシンドイ
意味
(1)辛い・塩辛い *主に味覚
(2)つらい・苦しい *主に肉体的苦痛
(3)ひどい・むごい *主に精神的苦痛
(4)いやだ *(2)(3)ほど重い状況ではない
(5)あぶない・あやうい *多く「命」に係る
(6)痛切だ・はなはだしい・並々でない
「辛くして」のかたちで・・・
(1)やっとのことで
ポイント
ピリッと塩辛い、身体に刺激を与えるものを「からし」と言います。
現代語ではほとんど「食べ物」についてしか用いませんが、古語では「痛みを伴う刺激」に広く用いまして、多くは(2)か(3)の意味になります。
ある過酷な状況があるとして、肉体的にしんどいケースなら(2)で、精神的にしんどいケースなら(3)という感じで使い分けるのかな。
だいたいそんな感じなのですが、肉体的に過酷な状況はたいてい精神的にも過酷なので、どちらでも訳せるケースも少なくないです。
そんなに重い雰囲気で使っていなければ、(4)の「いやだ」くらいで訳しておくといいですね。
(5)は、現代でも、「からくも助かった」とか使うよね。
そうですね。
あるいは、現代語の「かろうじて難を逃れた」の「かろうじて」も、もとは「からうじて」です。
ああ~。
「ぎりぎりのところで」みたいな意味かな。
現代語では「ぎりぎりのところで」という意味合いで使用することもあるのですが、古語で「からくして」という表現があったら、「たいへん困難な状況を(クリアして)」とか、「さんざんな目を(乗り越えて)」といった意味で使用されています。訳語としては、「やっとのことで~」「どうにかして~」などとなりやすいです。
現代語での「あぶないところでかわして」というニュアンスは、古語の「からくして」にはありません。
「あぶない(ところをかわす)」という意味では、(5)のように「からき命(が助かる)」という表現にほぼ限定されます。
おそらくこの(5)の用法がもとになって、現代語の「かろうじて」に、「あぶないところで(かわす)」という意味が含まれていったのだと思います。
とにかく、古語では「からくして=(訳)やっとのことで」と覚えてしまったほうがいいですね。
例文
これほど文覚にからい目を見せたまひつれば、思ひ知らせ申さんずるものを、(平家物語)
(訳)これほど文覚にひどい目をみせなさったので【私をむごい目にあわせなさったので】、(報いを)思い知らせてさしあげようと思うものだが、
まめやかにさいなむに、いとからし。(枕草子)
(訳)(私のことを)本気で責め立てるので、たいそうつらい。
辛しや、眉はしも烏毛虫だちためり。(堤中納言物語)
(訳)いやだなあ、眉はもう毛虫のようにみえる。
「ひどい」とか「つらい」とか言えるほどでもないので、「いやだ」くらいの程度として訳します。
からき命まうけて、久しく病みゐたりけり。(徒然草)
(訳)あやうい命を拾って【あぶない命が助かって】、長く病気のままでいた。
「苦難を伴う命」ということですが、シンプルに訳せば「あぶない命」となります。
「あぶない・あやうい」と訳すのは、連体形で「命」に係っていくケースくらいだと考えて大丈夫です。
けしうはあらぬ歌詠みなれど、からう劣りにしことぞかし。(大鏡)
(訳)(好忠は)悪くはない歌人だけれど、(時と場合をわきまえないという点では)はなはだしく見劣りがしたものだ。
「痛切に」という語感から、程度がはなはだしいことも意味します。
この例文のように、たいていは悪いケースに用いるので、「ひどく~」と訳したりもします。
今日、辛くして、和泉の灘より小津の泊まりを追ふ。(土佐日記)
(訳)今日、やっとのことで、和泉の灘から小津の港を目指す。
「辛くして」という表現の場合、ほぼ副詞として扱われ、訳語も限定されます。