「ない」なのに「無い」ではない。
現代語の話だけど、「せわしない」ってことばがあるよね。
「忙しない」ですね。
「忙しい」と同じ意味で、漢字のとおり「忙しい」ということですね。
でも、
(a)せわしい
(b)せわしない
が「同じ意味」っておかしいよね。
(b)には「ない」が付いているんだぞ!
「せわしない」の「ない」は、否定の意味を持つ形容詞「無い」ではなくて、接尾語の「ない」です。
接尾語の「ない」は、「いかにも〜である」「はなはだ〜である」ということなんですよ。
一種の強調句だと思ってください。
??
否定の「無い」ではないのか?
接尾語「なし」の付くことば
そうです。
古文でもたくさん出てきますよ。
いはけなし
はしたなし
おぼつかなし
うしろめたなし
などの「なし」は、接尾語の「なし」であって、一種の強調句です。
ちょ、そういうのやめてほしい。
「無し」だと思っていると、意味が逆になっちまう。
「接尾語」の「なし」は、もともと「なし!」という「強固な一語」ではないんです。
これは「な」と「し」が結果的に並んでしまったものだと言えます。
たとえば「はしたなし」でいえば、「はしたなり」という形容動詞もあれば、「はしたなげなり」という形容動詞もあります。これらの「はしたなし」「はしたなり」「はしたなげなり」は、どれもほぼ同じ意味合いです。
これを見るかぎり、「はしたなし」は、「はした」に「なし」がついたというより、「はしたな」に「し」がついたように思えるね。
そうですよね。
同じように、「いはけなし」「はしたなし」「おぼつかなし」「うしろめたなし」なども、「な」と「し」の接着性は強くないと言えます。
接尾語の「なし」などと言うんですけど、「いはけな」「はしたな」「おぼつかな」「うしろめたな」といった表現が先にあって、形容詞として成立させるうえで最後に「し」がついたと考えるほうが、実態に合っていると思います。
なんとなくはわかったけど、でも、形容詞には「~なし」って語が多くて、それが、
「無し」の「なし」なのか、
「実にそうである」という「なし」なのか、
判別できないぞ。
否定の「無し」/ 接尾語「なし」
「無し」の例も含めて、いくつか見ておきましょう。
たとえば、
こころなし (心無し)
なさけなし (情け無し)
かひなし (甲斐無し)
よしなし (由無し)
ゆゑなし (故無し)
などの「なし」は、「無し」であり、語の前半を否定しています。
その一方、
いはけなし(幼けなし・稚けなし)
はしたなし(端なし)
おぼつかなし(覚束なし)
うしろめたなし (後ろめたなし)
などの「なし」は、語の前半を否定しているのではなく、「実にそういう状態である」「はなはだそういう状態である」と言っていることになります。
これは、見分けられねえぞ!
「あり」に変えた時、逆の意味として成立するか?
最も単純な考え方は、「なし」を「あり」に変えてみたときに、逆の意味のことばとして成立しているかどうかですね。
心無し ⇒ 心あり(心がある)
情け無し ⇒ 情けあり(情けがある)
甲斐無し ⇒ 甲斐あり(価値がある)
由無し ⇒ 由あり(理由がある)
故無し ⇒ 故あり(由緒がある)
たしかに「逆の意味のことば」として成立しているな。
ではこれはどうでしょう。
いはけなし ⇒ いはけあり
はしたなし ⇒ はしたあり
おぼつかなし ⇒ おぼつかあり
うしろめたなし ⇒ うしろめたあり
ちょっと何言ってるかわからないぞ。
「なし」を「あり」にして、逆の意味のことばとして成り立つのであれば、その「なし」は、形容詞の「無し」です。
そうでなければ、接尾語の「なし」であると言えます。
ほうほう。
「なし」のつくことばが、「名詞」か「状態・性質」か?
否定の「無し」がついたものの場合は、「なし」の前が「名詞」として機能するケースが多いですね。「心」「情け」「由」「故」などは、それだけで「名詞」として使われます。つまり「物体・現象・概念」の名称ですね。
その一方、「実にそういう状態だ」という接尾語である「なし」がついてできた語は、「なし」の前が「名詞」ではなくて、あくまでも「状態・性質」になります。
「はした」「いはけ」「おぼつか」「うしろめた」などは、「物体・現象・概念の名称」ではなく、何らかの「対象」における「状態・性質」を示しています。
明確に区別しきれないところもあるのですが、否定の「無し」の前は「名詞」になりやすく、接尾語の「なし」の前は「名詞」ではなくて「状態・性質」であるという傾向はあります。
つかんできたぞ。
ただ、古典語を使用している当時の人たちは、みんなが語の成立まで気にしていたわけではありません。
そのため、「端無し」とか、「覚束無し」といったように、「無」の字を充てている用例もあります。
だいなしいぃィー!
日常的に使っていれば、語源などわからなくても使えてしまうということですね。