「確述」ってなんだ
参考書とかによく出てくる「確述用法」っていうのは何なんだ?
シンプルに言うと、助動詞「ぬ」「つ」を「未確定」のことに使用している場合、「確述」という意味でとるという文法事項です。
「確述」というのは、「確かなものとして述べる」ということです。
普段は、「ぬ」「つ」は「完了」だよな。
「完了」でとることが多いのは確かです。「確定済」のことについている「ぬ」「つ」はすべて「完了」と考えます。
文法的な理解としては、次のように考えましょう。
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助動詞「ぬ」「つ」の直後に、
「む」「べし」といった「意志や推量の助動詞」がついている場合、
そのときの「ぬ」「つ」は、「確述・確認・強意・強調」などの意味として区別する。
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このパターンを「確述用法」と呼ぶことが多いです。
「確述」「確認」「強意」「強調」は、どの呼び方でもかまいませんが、学校の文法の授業だと、「確述」か「強意」と教わることが多いですね。
「ぬ」「つ」は時制とは無関係
「ぬ」や「つ」は、「む」や「べし」とかといっしょになると、「未来のこと」を意味するから、「完了」ではなくなるということなのかな。
「完了」は「これから起こること」にも使用できるので、「未来のことだから完了ではない」という考え方は適切ではありません。
たとえば、
日も暮れぬ。(訳)日が暮れてしまう。
という表現は、実際に日が暮れる前に使用することができます。
未来のことであっても、「~てしまう」と訳せるものは「完了」と考えても問題ありません。
これからのことについている「ぬ」「つ」は、「確述(強意)」でも「完了」でも別にいいですよね、ってケースはけっこう多いんですよ。
ただし、試験の際には、後ろに「意志・推量系の助動詞」がついていたら「確述(強意)」を選んでおいたほうが無難ですけどね。
なんと。
「過ぎ去ったことを振り返っていますよ」という目印に使うのは「過去」の助動詞です。
「き」と「けり」ですね。
ああ~。
過ぎにけり。 (過ぐ + ぬ + けり)
垣間見てけり。(垣間見る + つ + けり)
とか、「完了」の助動詞の後ろに「過去」の助動詞が付くことが多いな。
「完了」と「過去」の助動詞の本質的な意味が同じなのであれば、こうやって重ねて用いる必要はありませんね。
「完了」はあくまでも「動作や現象が実際に成立(完成)する」ことであり、
「過去」は「時制として過ぎ去ったこと」です。
そのあたりの区別はこちらをどうぞ。
「ぬ」「つ」はそもそも「確かである」ということ。
そもそも「ぬ」や「つ」は、ある現象が「実際にそうだ」「確かなことだ」ということを示すことばです。「ある現象がたしかに始まった(終わった)」という認識を示しています。
ですから、【もともと「完了」である「ぬ」「つ」に「意志や推量の助動詞」がつくときは「確述」に変わる】というわけではありません。
どちらかというと、「ぬ」「つ」は、次のように理解するほうがいいです。
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① もともと「実際にそうだ・確かなことだ」ということであって、
② 事実として確定しているのであれば「完了」と分類し、
③ 事実として未定なのであれば「確述・確認・強意」と分類する。
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ただし、先ほど述べたように、「完了」は「時制とは無関係」ですので、「まだ起きていないこと」についている「ぬ」「つ」を「完了」と考えても間違いではない例文はたくさんあります。くっきりとは分けられないんですね。
「む」や「べし」などがつくと・・・
いろいろ言いましたが、学校で教わる文法としては、「つ」や「ぬ」について、
① 「事実として確定」していたら「完了」ですよ
② 「意志・推量の助動詞」とセットになっていたら「確述・確認・強意・強調」ですよ
という区別をきっぱりすることが多いです。
たいていの文法書が①と②の区別をしていますので、試験ではそのとおりに識別しておくほうが無難です。
なお、「意志・推量の助動詞」は、「む(ん)」「べし」が多いですが、「むず(んず)」とか「らむ(らん)」とかでも発動します。
「ぬらむ」とか「なむず」とかにもなるわけだな。
けっこういろいろなパターンがあります。
繰り返しになりますが、「ぬ」「つ」の後ろに「意志・推量系の助動詞」がついているときに、「ぬ」「つ」の意味を問われたら、「確述 or 強意」と答えておいたほうがいいですね。学校の試験だと「強意」を正解にする先生が多いです。
本当は「強意」よりも「確述」とするほうが本質的な意味にあうんですけど、学校で配布される文法書では「強意」が優勢です。入試問題や、参考書などでも、「強意」とするものが多いですね。
おそらく「確述」という語が耳慣れないからでしょうね。
じゃあ、入試の次元でマニュアル的なことをいうと、「強意」と覚えておけばだいたいOKなんだな。
でも、どうして、「強意」よりも「確述」のほうが本質的だといえるの?
「確かさ」のレベル
古典語の性格としては、「確定していること」と「確定していないこと」というのを、きちんと分ける傾向にありました。
「確定していること」に広く用いられたのが「ぬ」で、「確定していないこと」に広く用いられたのが「む」です。
花咲きぬ。 ⇒ 「確定していること」
花咲かむ。 ⇒ 「確定していないこと」
となります。
でも、世の中のことって、そんなに「白か黒」ではわりきれないよね。
そのあいだくらいのことを表現したい時にはどうすれば……ちょ、もしかして!
「ぬ」と……「む」を……いっしょに使うんですよ……。
いわゆる確述用法か!!
そうです。
それっぽい式にしてみれば、次のようになります。
花咲きぬ。 > 花咲きなむ。 > 花咲かむ。
確定している > 確定しそうである > 確定していない
なるほどな!
花咲かむ。 (花が咲くだろう) *推量のみの表現
というよりも、
花咲きなむ。 *助動詞「ぬ」の未然形「な」+推量の助動詞「む」
というほうが、
強い確信をもって話しているのはそのとおりなんですね。
だから、文全体としては「ただの推量よりは強く言っている」ことにはなります。
そういう観点では、「む」の上に「な」があるほうが「強い思いのある文」になるので、「な」が「強意」の役割を果たしていると言えないこともありません。
そうなるわな。
でも、逆サイドから言うと、
花咲きぬ。 (花が咲いた。) *完了のみの表現
というよりも、
花咲きなむ。
というほうが、「推量」の助動詞が付くことによって「確かさ」が弱まっているということになりますよね。
ふむ。
推量の「む」側からみれば、「ぬ」の未然形「な」とセットになることによって、「ただの推量よりも強く言っているぞ」ということになります。
しかし、完了(確述)の「ぬ」側からみれば、推量の「む」が後ろにつくことによって、シンプルに「ぬ」とだけ言うときよりも、「確かさ」のレベルが下げられています。
たしかに、「ぬ」側からみるとそうなるな!
このように、
「ぬべし」の「ぬ」
「つべし」の「つ」
「なむ」の「な」
「てむ」の「て」
といった助動詞は、語自体の役割として「意味を強めている」わけじゃないんですよ。
語自体が本質的に「強意」なのではなく、あくまでも「事実としての確かさ」を示していて、結果的に、「ただの意志・ただの推量」よりは「強い意志」「強い推量」になるということなんですね。
そう考えると、「確かなものとして述べる」という「確述」のほうが、語そのもののニュアンスに近い気がするね。
念のため述べておくと、三省堂の辞書では「確述(強意)」であり、旺文社の辞書でも「確述(強意)」です。大修館の辞書では「確認・強調」であり、「強意」という表現自体がありません。
つまり、辞書の世界だと、むしろ「強意」のほうが「オマケ」なんですよね。
訳し方
今の話にあったように、
風も吹きぬべし
波立てつべし
などの表現は、「ぬ」や「つ」が「確かさ(確定的であること)」を示す役割を果たしています。
そのため、
きっと風も吹くだろう。
きっと波を立てるだろう。
といったように、「きっと」などの副詞的な訳語を当てはめることが多くなります。
「きっと」の部分は、「たしかに」「必ず」「間違いなく」など、「確かさ」のニュアンスが出せればなんでもいいです。
しかし、学校の授業ではなんでもかんでも「きっと」をつけとけばいいやというふうに、日本語としてのおさまりが悪くても「きっと」を模範解答にすることが多いですね。
そして生徒が「必ず行きましょう」などと「いい現代語訳」をしているのに、「必ず」は「きっと」じゃないから減点などというわけのわからないことを言い出す場合があります。
なんだか今日はところどころ軽めに学校の悪口を言っているぞ。
この「訳語」から考えた時にも、「強意」というのはちょっとぼんやりしていますね。
「つ」「ぬ」が担当しているニュアンスはあくまでも「確かさ」なので、助動詞の意味としては「確述」というほうが、意味を限定できていて、学習上の理解につながると思います。
定期試験にこんな問題があったらどうすればいいの?
「風吹きぬべし」の「ぬ」の意味を一つ選べ。
ア 完了 イ 強意 ウ 過去 エ 並列
「イ」の「強意」を選んでおきましょう。
「完了」でも間違いとは言えませんから、選択肢に入れないでほしいですけどね。
じゃあこれは?
「風吹きぬべし」の「ぬ」の意味を一つ選べ。
ア 完了 イ 意志 ウ 推量 エ 受身
「確述」も「強意」もなければ「完了」を選んでおけばいいでしょう。
「完了」は未来のことにも使えますし、「イ・ウ・エ」は「ぬ」の意味にありません。
じゃあこれは?
「風吹きぬべし」の「ぬ」の意味を一つ選べ。
ア 確述 イ 強意 ウ 過去 エ 並列
「ア」の「確述」と「イ」の「強意」を分別することができないので、問題として成立していません。
試験監督に「成立していないのではないですか」と質問しましょう。
悪問にぶちあたりなば、監督に問ひぬべし。
例文
「潮満ちぬ。風も吹きぬべし」と騒げば、船に乗りなむとす。
【訳】「潮が満ちた。風もきっと吹くだろう」と騒ぐので、船に乗ってしまおうとする。
ひとつめの「ぬ」には、推量の「べし」がついています。
ふたつめの「な」には、意志の「む」がついています。
したがって、どちらも「確述(強意)」と言えます。
後半は、選択肢であれば「いまにも船に乗ろうとする」などと、何らかの強調句をつけて訳すかもしれませんね。
ただ、特に2番目の「な」については、「乗りなむ」を「乗ってしまおう」と訳せることからも、「な」を「完了」と考えても問題はありません。
例文その2
この酒を飲みてむとて、よき所を求めゆくに、天の河といふ所に至りぬ。
【訳】この酒を飲んでしまおうと思って、適当な場所を求めて行くと、天の河という所にたどり着いた。
これも、「む」があることから、「て」の意味は「確述(強意)」と考えたほうが無難です。
「この酒をきっと飲もう」「この酒を必ず飲もう」などと訳してもいいですね。
ただ、例文1と同様に、「~てしまおう」と訳せますので、「完了」としても間違いではありません。
例文その3
天下の大事に及び候ひなんず
【訳】天下の重大事件にきっと及ぶでしょう。
うしろの「んず」っていうのはなんだ?
「むず」という助動詞です。「んず」と書くこともあります。
これは「むとす」がつまってできた助動詞なので、基本的には「む」と同じ意味だと考えればよいです。
例文その4
思ひつつ寝ればや人の見えつらむ夢と知りせば覚めざらましを
【訳】恋い慕いながら寝たからあの人が(夢に)現れたのだろうか
夢と知っていたなら目を覚まさなかっただろうに
この例文などは、「~た」と訳すのが自然ではありますが、意味の分類は「確述・強意」と考えられています。
なんで?
直後にある「らむ」に注目してみましょう。
「らむ(らん)」は「現在推量」または「現在の原因推量」と呼ばれるものです。
主に、
① いま目に見えていないものを推量する(~ているだろう)
② いま目に見えているものの原因を推量する(~から、~のだろう)
という二通りの使い方があります。
この和歌でいうと、恋しい人が夢に出てきて、その「原因」について、「恋慕いながら寝たからかな」と推量しているのですね。
時間軸としては過ぎ去ったことではあるんですけど、感情としては、今まさに夢を見ているような感覚で詠まれています。だからこそ「らむ」が使われています。
まとめ
基本的には、「ぬ」「つ」が、「む」「べし」「らむ」「むず」といった、「意志や推量の助動詞」とセットになっていたら、「確述・強意」と答えておいた方が無難です。
訳は、「きっと」などの強調句をつけて、「しよう」「だろう」とすればOKですが、そもそも「完了」との区別も非常にあいまいですから、「~してしまおう」「~てしまうだろう」などと訳す場合もあります。