意味
① 【断定】 ~である・~だ
② 【存在・所在】 ~にある・~にいる *多くは連体形
ポイント
「体言+に+あり」がつまって、「体言+なり」となっていきました。
「あり」がベースなので、活用は「ラ変型」になります。
「体言」につく助動詞ですが、直前の語が活用語である場合には「連体形」につきます。
「にあり」がつまって「なり」になったということは、たぶん、一時期は「にゃり」って言ってたんだな。
そうでしょうね。
「山にゃり」とか「花にゃり」とか言っていたでしょうね。
それにしても、断定の「なり」は古文にたくさん出てくるよね。
相当出てきます。
注意点すべき活用は、「連用形」です。
断定の助動詞「なり」は、ラ変型の活用なので、「なら/なり/なり/なる/なれ/なれ」となりますけれども、「連用形」にだけ「に」という「2つめの形」があります。
「に」なんて、古文に大量に出てくるから、どれが断定の助動詞「なり」の連用形であるかなんて判別できないぞ。
ルールをおさえておけば、試験には対応できます。
山 に て あり
川 に ぞ ある
人 に も あり
月 に こそ あれ
などというように、「体言+に+あり」という構造の「に」と「あり」の間に助詞があると、「にあり」はくっつくことができませんよね。
たしかに、「て」「ぞ」「も」「こそ」とかが邪魔で、くっついて「なり」になるということができないな。
この場合の「に」は、断定の助動詞「なり」の連用形と判断します。
「体言」と書いていますが、「活用語の連体形」の場合もあります。
ほうほう。
あとは、「あり」が敬語になっているパターンです。
たとえば、「おはす」「おはします」「はべり」「さふらふ」などの敬語は、意味内容としては「存在している」ということであるため、敬意を抜いてしまうと「あり」です。
したがって、
~人 に おはす
~する に はべり
などの表現は、敬意を無視すると、「体言(or連体形)にあり」と言っていることになります。
この場合の「に」は、断定の助動詞「なり」の連用形だと判断します。
ほうほう。
つまり、「体言(or連体形)+に」のあとに、
(a)「ぞ」や「も」とかの助詞を隔てて「あり」がある
(b)「おはす」「おはします」「はべり」「さふらふ」といった、敬意を省けば「あり」である動詞がある
といった場合には、この「に」を、断定の助動詞「なり」の連用形と考えればいいんだな。
おおむねその通りです。
ちなみに、この「あり」は省略されることもあるので注意してください。
ぎゃー!
「あり」は書かなくてもわかるからよく省かれるんですよ。
同様に、「あらむ(あるだろう)」などもよく省略されます。
たとえば、
一の皇子にて(あり)、よせ重く、
元禄二年にや(あらむ)、
まことはあいなきにや(あらむ)。
の( )内は、本文には書かれていないのですね。
この場合の「に」は、断定の助動詞「なり」の連用形と判断します。
これらは、訳をするときに、「であって」とか、「であるだろうか」というように、「あり」や「あらむ」などを補って訳すことになります。
「であって」と訳す「にて」とか、「であるだろうか」と訳す「にや」には注意が必要だということだな。
はい。
その場合の「に」は、断定の助動詞「なり」の連用形になります。
「に」についてはなんとなくわかった。
あとは、伝聞・推定の助動詞「なり」とかいう、同じひらがなの助動詞をどう区別するかだ!
そのあたりは、試験でいやというほど問われますよね。
くわしくはこちらをどうぞ。
例文
物語の出で来始めの祖なる「竹取の翁」に「宇津保の俊蔭」を合わせて争ふ。(源氏物語)
(訳)物語のでき始めの元祖である「竹取の翁」に「宇津保の俊蔭」を競合させて(評価を)争う。
おのが身は、この国の人にもあらず。月の都の人なり。(竹取物語)
(訳)私の身は、この国(人間世界)の人ではない。月の都の人である。
「人にもあらず」の「に」に注意です。
「体言+に」のあとに「あり」がある構造なので、「に」は断定の助動詞「なり」の連用形です。
京に思ふ人なきにしもあらず。(伊勢物語)
(訳)京にいとしく思う人がいないわけではない。
駿河なる宇津の山べのうつつにも夢にも人にあはぬなりけり (伊勢物語)
駿河にある宇津の山のあたりに来てみると、現実にも夢にも(恋しい)人に会わないことだなあ
「にある」「にいる」と訳す【存在・所在】の意味になる「なり」は、たいていはこのように連体形「なる」の形で用いられます。