時の間の煙ともなりなむとぞ、うち見るより思はるる。(徒然草)

〈問〉次の傍線部を現代語訳せよ。

多くのたくみの、心を尽くしてみがきたて、からの、大和の、めづらしくえならぬ調度ども並べ置き、前栽せんざいの草木まで心のままならず作りなせるは、見る目も苦しく、いとわびし。さてもやは長らへ住むべき。また、時のけぶりともなりなむとぞ、うち見るより思はるる。おほかたは、家居にこそ、ことざまは推し量らるれ。

徒然草

現代語訳

多くの職人が、心を尽くして磨きあげ、唐のもの、日本のもの、めったになく何とも言えない(ほどすばらしい)道具などを並べおいて、前栽【庭の植え込み】の草木まで自然のままではなく意識的に作っているのは、見た目も見苦しく、たいそう興ざめである。(住まいが)そのようなままで、長く住むことができようか、いやできない。また、(火災があれば)ひと時の間の煙ともなってしまうだろうと、ちょっと見るなり(そのように)ふと思われる。たいていは、住まいによって、(その住人の)人柄は自然と推察される。

ポイント

なる 動詞(ラ行四段活用)

「なり」は、動詞「なる」の連用形です。

本文中に「なら」「なり」「なる」「なれ」などのひらがながある場合、主に次の4つのパターンで識別します。

(1)断定の助動詞「なり」
(2)伝聞・推定の助動詞「なり」
(3)動詞「なる」
(4)形容動詞の活用語尾

このうち、「~になる」「~となる」と訳せるもの、すなわち、現代語と同じ役割を果たすものは、動詞の「なる」であると判断します。

ここでは、「ひと時のあいだに煙となる」という文意であり、現代語の「なる」と同じものであるので、「動詞」だと考えます。

なむ 連語

ここでの「なむ」は、連語です。助動詞「ぬ」+助動詞「む」が、「なむ」となっています。

文中に「なむ」がある場合、次の4つのパターンで識別します。

(1)助動詞「ぬ」+助動詞「む」
(2)終助詞「なむ」
(3)係助詞「なむ」
(4)ナ変動詞+助動詞「む」

このうち、連用形につくものは、(1)です。

「な」は、「完了」の助動詞「ぬ」の未然形ですが、この場合の「な」は「完了」ではなく「確述・強意」の意味であると説明されることが多いです。

よく「確述用法」と呼ばれるもので、「完了」の「ぬ・つ」が、「推量」や「意志」の「む・べし」などとセットで用いられると、「確述・強意」などの意味で解して、「きっと~だろう(しよう)」という訳し方をします。

試験の答案として考えると、この場合の「ぬ・つ」は、「きっと」「おそらく」「間違いなく」などのような、何からの強調句として訳出するほうがよいのですが、無理にそうすると、口語訳全体の自然な流れをかえってゆがめてしまうことがあります。その際、「~てしまうだろう・~てしまおう」というように、「完了+推量(意志)」のように訳したほうがおさまりがよければ、そのようにしても大丈夫です。

うち 接頭語

「うち」は、接頭語です。

もともとは、「打ち」であり、

瞬間
突発
刹那
軽妙


といった、複数のニュアンスを持ちます。

特に訳出しなくてもよいのですが、「ちょっと」「ふと」「ぱっと」などというように、訳のうえでは副詞的に表出されることも少なくありません。

ここでも、「ちょっと見る」くらいにしておくとよいでしょう。

る 助動詞

「るる」は、助動詞「る」の連体形です。

係助詞「ぞ」があるので、結びとして連体形になっています。

「る」には、「自発」「受身」「可能」「尊敬」の意味がありますが、「無意識的動作」に付いている場合、「自発」と判断しましょう。

ここでは「思ふ」という無意識的動作についていますので、「自発」と考え、「ふと思う」「思われる」などと訳します。

ところで、古文は教科書や本によって表現が異なるものも多く、ここでの「思はる」は、本によっては「覚ゆる」となっていますね。動詞「覚ゆ」の連体形です。

とはいえ、「覚ゆ」という語自体が、「思ふ」+自発の助動詞「ゆ」が一語化したものなので、訳は同じことになります。