🎋小倉百人一首🎋 2024.04.23 徐々に更新! 目次 あかさたなはまやわ あ 秋の田の かりほの庵の 苫をあらみ 我が衣手は 露に濡れつつ (天智天皇)秋の田のほとりの仮小屋に(刈り取った稲穂を守るために)泊っていると、その苫(の網目)が荒いので、私の衣の袖は、(すき間から漏れる)夜露にしきりに濡れることだ。 朝ぼらけ 宇治の川霧 たえだえに あらはれわたる 瀬々の網代木 (権中納言定頼)明け方のしだいに明るくなってくるころ、宇治川にかかる霧が、とぎれとぎれになってくる。(それに伴い)あちこちに現れてくる、川瀬に仕掛けられた網代木だ。 あしびきの 山鳥の尾の しだり尾の 長々し夜を ひとりかも寝む (柿本人麻呂)山鳥の尾の長く垂れさがっている尾のように長い長い夜を、(恋しい人も近くにおらず)一人で寝るのだろうか。 天つ風 雲の通ひ路 吹きとぢよ をとめの姿 しばしとどめむ (僧正遍照)空を吹く風よ、雲のなかの通り路を 吹き閉じておくれ。美しい舞姫の姿を、もう少しの間ここに【地上に】とどめよう。 天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも (安倍仲麿)大きく広がる空をふり仰いではるか遠くを見ると、(そこに見える月は、)かつて見た春日にある三笠山に出ていた月なのだなあ。 あらざらむ この世のほかの 思ひ出に 今ひとたびの 逢ふこともがな (和泉式部)わたしは(この世から)いなくなるだろう。現世の外への【あの世への】思い出に(するために)、せめてもう一度、あなたにお会いしたいなあ。 今来むと 言ひしばかりに 長月の 有明の月を 待ち出でつるかな (素性法師)今すぐ来ようと、(あなたが)言ったばかりに、陰暦九月の夜長を待つうちに、有明の月が出てきてしまったよ。【有明の月が出るのを待ってしまったよ】 大江山 いく野の道の 遠ければ まだふみもみず 天の橋立 (小式部内侍)大江山を越えて行く【大江山に向かって行く】、生野の道が遠いので、天の橋立を踏んだこともない。母からの手紙もまだ見ていない。 奥山に もみぢ踏み分け 鳴く鹿の 声聞く時ぞ 秋は悲しき (猿丸大夫)人里離れた奥山で、散った紅葉を踏み分けて鳴いている鹿の声を聞く時こそ、秋は悲しいものと感じられる。 か かささぎの 渡せる橋に 置く霜の 白きを見れば 夜ぞ更けにける (中納言家持)かささぎが(恋人たちを会わせるために)天の川に橋を渡したというが、いま宮中の階(鵲橋)におりる霜の白さを見ると、夜もすっかり更けたのだなあ 君がため 春の野に出でて 若菜摘む 我が衣手に 雪は降りつつ (光孝天皇)あなたのために、春の野に出かけて若菜を摘む私の袖に、雪はしきりに降りかかっている。 心にも あらでうき世に ながらへば 恋しかるべき 夜半の月かな (三条院)心ならずもこのはかない現世に生きながらえるならば、恋しく思い出されるにちがいない、そんな夜更けの月だなあ。 このたびは ぬさもとりあへず 手向山 紅葉の錦 神のまにまに (菅家)この度の旅は、(あわただしくて)幣ぬさを用意することもできない【捧げることもできない】。(その代わりに)手向山の紅葉の錦を(捧げるので)、神の思うままに(お受け取りください)。 これやこの 行くも帰るも 別れては 知るも知らぬも 逢坂の関 (蝉丸)これがあの、(東国へ)行く人も(都へ)帰る人もここで別れては、知っている人も知らない人もここで出会うという逢坂の関なのだよ。 恋すてふ わが名はまだき 立ちにけり 人知れずこそ 思ひそめしか (壬生忠見)恋をしているという私のうわさは早くも立ってしまったのだなあ。人に知られないように思いはじめたのに。 さ しのぶれど 色にいでにけり わが恋は 物や思ふと 人の問ふまで (平兼盛)つつみ隠していたけれど、顔色や表情に出てしまっていたのだなあ、私の恋は。恋のもの思いをいているのかと、人が尋ねるくらいまで。 住の江の 岸による波 よるさへや 夢の通ひ路 人めよくらむ (藤原敏行朝臣)住の江の岸に寄る波の「よる」ではないが、夜までも夢の通い路をあなたが通って来ないのは【私たちが逢えないのは】、あなたが人目を避けているからだろうか。 た 滝の音は 絶えて久しく なりぬれど 名こそ流れて なほ聞こえけれ (大納言公任)滝の音は、途絶えてもう長い年月が経ってしまったが、その名声は世間に流れて、今なお評判になっていることだなあ。 田子の浦に うち出でてみれば 白妙の 富士の高嶺に 雪は降りつつ (山部赤人)田子の浦に出てみると、真っ白な富士の高嶺にしきりに雪が降っているよ【降り積もっているよ】。 たち別れ いなばの山の 峰に生ふる まつとし聞かば 今帰り来む (中納言行平)あなたがたとお別れして因幡国に行っても、その国の稲羽山(稲葉山)の峰に生える松ではないけれど、あなたがたが「待つ」と聞こえてきたら、すぐに帰って来よう。 玉の緒よ 絶えなば絶えね ながらへば 忍ぶることの よわりもぞする (式子内親王)わが命よ、絶えてしまうのなら絶えてしまえ。このまま生き長らえているならば、堪え忍ぶ心が弱まると困るから。 ちはやぶる 神代も聞かず 竜田川 からくれなゐに 水くくるとは (在原業平朝臣)不思議なことが多かった神代の昔にも、これほどのことは聞いたことがない。竜田川に、紅葉したもみじが敷かれ、水面をくくり染めにしているとは。 月みれば ちぢにものこそ 悲しけれ わが身ひとつの 秋にはあらねど (大江千里)月を見ると、さまざまに際限なく、もの悲しく感じられるなあ。私一人だけの秋ではないのだけれど。 筑波嶺の 峰より落つる 男女川 恋ぞつもりて 淵となりぬる (陽成院)筑波嶺の峰から落ちる男女川のように、私の恋心も積もり積もって、淵となってしまった。 な 難波潟 みじかき芦の ふしの間も 逢はでこの世を 過ぐしてよとや (伊勢)難波潟の芦の、短い節と節の間のように短い時間も、(私とあなたが)逢わないでこの世を過ごしてしまえと、あなたは言うのだろうか。 は 花の色は うつりにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに (小野小町)花の色は、色あせてしまったなあ。むなしく長雨が降っていた間に。私自身がむなしく時を過ごし、もの思いにふける間に。 春過ぎて 夏来にけらし 白妙の 衣干すてふ 天の香久山 (持統天皇)いつのまにか春が過ぎて、夏が来たらしい。夏になると真っ白な衣を干すという、天の香久山に。 吹くからに 秋の草木の しをるれば むべ山風を 嵐といふらむ (文屋康秀)吹くとすぐ、秋の草木がしおれるので、なるほどそれで山風を「嵐」と言うのであろう。 ま 陸奥の しのぶもぢずり たれゆゑに 乱れそめにし 我ならなくに (河原左大臣)陸奥の織物である「しのぶもじずり」が乱れ模様に染まるように、いったい誰のせいで私の心は乱れ始めてしまったのか。私のせいではないのに。(あなたのせいなのに。) もろともに あはれと思へ 山桜 花よりほかに 知る人もなし (前大僧正行尊)私がおまえをしみじみいとしいと思うように、おまえもいっしょに私をしみじみいとしいと思ってくれ、山桜よ。花であるおまえのほかに、心を知る人もいないのだ。 や やすらはで 寝なましものを さ夜ふけて かたぶくまでの 月を見しかな (赤染衛門)(あなたが来ないとわかっていれば)ためらわずに寝てしまっただろうに。(あなたを待っているうちに)夜が更けて、とうとう西にかたむくまでの月を見たことだよ。 わ 我が庵は 都のたつみ しかぞすむ 世をうぢ山と 人は言ふなり (喜撰法師)私の庵は、都の東南にあって、このように(穏やかに)住んでいる。(しかし)世を憂いて隠れ住んでいる宇治山だと、人は言うようだ。 忘れじの 行く末までは かたければ 今日を限りの 命ともがな (儀同三司母)忘れまいという(あなたの)言葉が、遠い将来までは(そのとおりになるか)難しいので、(その言葉のあった)今日を最後とする(私の)命であってほしいものだ。 わたの原 八十島かけて 漕ぎ出でぬと 人には告げよ 海人の釣船 (参議篁)広い海原を、たくさんの島を目指して漕ぎ出してしまったと、都にいる人に告げてくれ。漁師の釣舟よ。 わびぬれば 今はた同じ 難波なる みをつくしても 逢はむとぞ思ふ (元良親王)(二人の仲が知られてしまい)悩み苦しんでしまったので、今となっては(何があっても)もう同じことだ。難波にある澪標(みおつくし)ではないが、身を尽くしても【わが身が果てても】逢おうと思う。