あいうえお 2024.07.25 目次 あいうえお あ あいなし 形容詞(ク活用)語源としてはいろいろ説があるのですが、「あやなし」から来ているというものが有力です。「あやなし」は、「文無し」であり、「文(あや)」は、「物事の流れや道筋」を示しています。つまり、「あやなし」は「筋が通らない」ということです。「あいなし」も同じように、「筋違いだ」と訳すことがあります。ただ、そういった「客観的事実」よりも、それに対する心情として、「気に入らない・感心しない」「おもしろくない・つまらない」などと訳すことが多いですね。 あからさまなり 形容動詞(ナリ活用)「あかる」という動詞がありまして、「離る・別る」などと書きます。漢字をみてのとおり「離れる」ということです。「あからさまなり」という形容動詞は、ある人やモノが、パッとその場を離れるような様子を示しているのですね。 あきらむ【明らむ】 動詞(マ行下二段活用)「明」という漢字を強く記憶しておきたい動詞です。「あきらめず」「あきらめむ」「あきらめて」などのように、未然形や連用形で登場すると、現代語の感覚でついつい「諦める」と誤解してしまいがちです。しかし、「諦める」の意味は、江戸時代以前にはありません。また、現代語と同じ意味を試験で問うことはありませんので、古文で「あきらむ」の意味を問われたら、まずは「明らかにする」と訳してみてください。 あく【飽く】 動詞(カ行四段活用)「飽」という字のとおり、「いっぱいになる」「十分になる」ということです。それをプラスの意味でとらえれば、「満足する」ということであり、マイナスの意味でとらえれば「(十分になりすぎてしまって)うんざりする」ということになります。 あくがる【憧る】 動詞(ラ行下二段活用)「あく」は「本来いるべき場所」であり、そこから「離る(かる)」ということになります。 あさまし 形容詞(シク活用)「驚きあきれる」という意味の「浅む(あさむ)」という動詞が形容詞化したものです。「浅む」は、「普通こうだよね…」と思う「想定」と「実態」のあいだの「ズレ」に驚きあきれることを意味します。「常識」とか「社会規範」にすっぽりハマっていない(逸脱している)「思慮の浅さ」「趣きの浅さ」に、「え……ありえない」と思う場面で使われやすいです。ただし、形容詞「あさまし」は、批判的意味よりも、「あるべきもの」との「ズレ」に対する「予想外だ!」「びっくりした!」という驚きのほうがメインなので、「驚きあきれるほど」と訳しておけばだいたい大丈夫です。 あさむ【浅む】 動詞(マ行四段活用)「常識」や「社会通念」といった「器の深さ」に対して「浅い状態」、すなわち「ぴったりしていない」というズレに対して驚きあきれることを意味しています。「あるべき状態」と「現実」がズレていることへの驚きであり、良い意味でも悪い意味でも用いました。ただ、「そんなはずじゃない!」という意味合いなので、どちらかというと悪い意味での使用が多く、やがて(2)のような訳し方が増えていきました。 あし 形容詞(シク活用) / わろし 形容詞(ク活用)古文の世界には、善悪の基準として、「よし>よろし>わろし>あし」という4つの段階がありました。最もよいのが「よし」で、最も悪いのが「あし」です。そのため、「あし」と評されているものがあったら、それは「きわめて悪い」ものであると判断しましょう。 あそぶ【遊ぶ】 動詞(バ行四段活用)根本的な意味は「日常とは別のことに心身を開放して熱中する・陶酔する・楽しむ」ということで、「音楽・遊戯・狩猟」などに興じることを広く意味します。つまり、「非日常のイベントを楽しむこと」は、おおむね「遊ぶ」に該当します。音楽関係のイベントに用いることが多く、その場合、「管絃」をつけて訳すのが通例です。 あだなり【徒なり】 形容動詞(ナリ活用)「あだ」は、もともと「花が咲いても実を結ばない様子」を示すことが多く、「不実なさま」を意味しました。人間にあてはめると、「誠実でない」ことを示しますので、「浮気だ」と訳す場合が多いです。「実を結ばない」ということは、やがては消えることになるので、「はかない」「いいかげんだ」「むだだ」などと訳すこともあります。「あだ」の対義語のように使われることばは「まめ」です。こちらは、「誠実」「真面目」「自直」などの意味になります。 あたらし【惜し】 形容詞(シク活用)「あたらし」は、漢字で書くならば「惜し」です。意味もそのまま「惜しい」なので、漢字とセットで覚えてしまいましょう。「あたらし」の「あた」は、「あたひ(価・値)」の「あた」と言われており、もともとは「価値がある」「すばらしい」という意味で使用されていました。それが次第に、「本当は価値があるのに、発揮されていなくて、そのことが惜しい、もったいない」という意味で使用されるようになり、平安時代以降の用法はほとんどがそちらの「惜しい・もったいない」という意味です。 あぢきなし 形容詞(ク活用)もとは「あづきなし」でした。漢文の「無道」「無状」などを「アヅキナシ」と訓じるので、「アヅキ」の部分は「道理」とか「正常の状態」などを意味していると考えられます。「あづきなし」は、のちに音変化して「あぢきなし」となっていきました。 あつし【篤し】 形容詞(シク活用)病気になると熱が出て体温が上がります。それがそのまま「病気が重い」の意味になったのが「篤し」だと考えられています。「あつし」とひらがなで書かれていると「熱し」「暑し」「厚し」「篤し」のどれなのかわからなくなるのですが、このうち「篤し」だけが「シク活用」なので、終止形以外なら判別可能です。 あてなり【貴なり】 形容動詞(ナリ活用)「貴なり」の読みが「あてなり」であることをおさえておくと、意味をみちびきやすいです。「身分が高い」「高貴である」ということから、その身分にふさわしい気品があるという意味で、「上品だ」と訳すこともあります。対義語は「いやし(賤し・卑し)」です。 あな 感動詞「The 感動詞」と言うべきことばで、「感慨・驚き・感心」など、心が強く動いたときに発せられる語です。「ああ・あら・まあ」などと訳せばOKです。セリフの中に単独で出てくことも多いのですが、「あな+形容詞・形容動詞の語幹」で、ワンセットの感動詞のような使い方をすることも多いです。 あない【案内】 名詞 / あないす【案内す】 動詞(サ行変格活用)「案」の「内」であり、もともとは「文書による説明」や、その説明の「内容」を意味します。「あない」と書きますが、「ん」は表記されていないだけなので、読みは「あんない」となります。時代が下ると、表記されていない「ん」を読みでも省いてしまう傾向が出てきますので、「あない」と読むこともあります。「案内す」というサ変動詞で使用されることも多いですね。 あながちなり【強ちなり】 形容動詞(ナリ活用)「強ちなり」という漢字をイメージできれば、意味はそのままの形容動詞です。「あな」はもともとは「自己」を意味したと言われます。「がち」は「勝ち」です。現在でも、「ためらいがち」「無駄話をしがち」などという使い方がありますが、それらは「がち」の上の語が勢いを持っていて、その傾向が強いことを意味します。そのことから、「あながちなり」は、「相手を抑え、自分(自己)が勢いを持っていること」を意味します。「俺が! 俺が!」という状態を表すので、「強引」「身勝手」「利己的」というニュアンスになります。 あなかま 連語感動詞「あな」に、シク活用の形容詞「かまし」がついて、「あなかま」と表現したものです。直訳すれば「ああうるさい」ということですが、特にそれほどやかましくないときにも使用されます。つまり、「騒がしい」という「事実」を述べているというより、「静かにしてほしい」場面で「お願い」として用いられるので、慣用的に(2)のように訳すことが多いです。 あなづらはし【侮らはし】 形容詞(シク活用)動詞「侮る(あなづる)」が形容詞化したものです。「あなづる」の「軽蔑する・見下げる」という意味がそのまま生きているのが(1)の意味です。「軽く扱ってよい」ということは、「敬意を持たなくてよい」ということなので、やがて「遠慮しなくてよい」「気を遣わなくてよい」という意味でも使われるようになりました。それが(2)の意味です。 あはれ 感動詞・名詞 / もののあはれ 連語もとは「ああ……」という「言葉にならないため息のようなもの」であり、感動詞で用いる場合、そのまま「ああ」と訳せばOKです。名詞で用いられている場合には、「ああ……としか言えない感情」を意味していますので、「名称」として名づけるのは難しいのですが、「しみじみとした趣き・情け」としておけば大丈夫です。記述の場合は「しみじみとした」という表現を入れておいたほうがいいのですが、選択肢問題の場合は、シンプルに「情趣」「人情」「感慨」など、コンパクトな熟語で済ませてしまっていることも多いです。 あはれなり 形容動詞(ナリ活用)「あはれ」は、心が強く動かされた際の、ことばにならない嘆声です。形容動詞として使用される場合、「じーんとして、ため息しか出ない状態」に広く用いられますので、訳語も多岐にわたります。文脈にあわせて、適訳を考えましょう。 あへなし【敢へ無し】 形容詞(ク活用)「敢ふ」が「堪える」「持ちこたえる」「すっかり~する」という意味であり、それを「無し」で否定しています。「何かをすべき状況」において、「推進」や「抵抗」をしようとしても何もできない様子を示し、「どうしようもない」「仕方がない」などと訳します。 あまた【数多】 副詞「あま」は「余る(あまる)」の「あま」と同じで、「たくさんある」ということを示します。いずれにしても、現代語でも「数多」と書いて「あまた」と読みますので、漢字さえ覚えておけば訳はしやすいと思います。 あまねし【普し・遍し】 形容詞(ク活用)「数が多い」という意味で使用された上代後「まねし」に、接頭語「あ」がついた語ではないかと考えられています。「あまりにも数が多い」ということから、「広く行きわたって、残すところがない」という意味で使用されます。 あやし【怪し・奇し・賤し】 形容詞(シク活用)感動詞「あや」が、そのまま形容詞になったと考えられています。「あや~」と不思議に思うほど、自分の理解を超えた現象などに用います。多くは、「不思議だ」という意味で使用しますが、「身分が低い」という意味でも使用します。 あやなし【文無し】 形容詞(ク活用)「あや」は「波紋」や「木目」や「衣服」などの、道のようになっている「模様」のことです。そのことから、「筋道」とか「理屈」などを意味します。それが「無し」であるので、「筋が通らない」「わけがわからない」などと訳します。 あやにくなり 形容動詞(ナリ活用)「あや」+「憎(にく)」+「なり」で一語化しました。感動詞「あや」は、驚きをこめて「ああ」ということで、「憎」は、「こうであってほしいという状態とは違う」ということです。「にくし」という形容詞がそうであるように、「あやにくなり」の「にく」にも、「憎悪」の意味はありません。「意に反して」「予想(期待)と違って」くらいに考えておくのがベストです。 あらまほし 連語/形容詞(シク活用)もともとは、動詞「あり」+助動詞「まほし」であり、「存在することを希望する」ということです。ある事物や現象に対して、「こうあってほしいと思えるほどだ」とほめている場合には、一語の形容詞として考えます。 ありく【歩く】 動詞(カ行四段活用)「歩く」と書いて「ありく」と読むので注意が必要です。また、意味も現代語の「歩く」とは違います。古語の「ありく」は、あちこち動き回ることであり、徒歩とは限りません。訳をするときには、「~まわる」をつけておいたほうがいいですね。 ありつく【有り付く・在り付く】 動詞(カ行四段活用)「あり」+「付く」です。「存在が定着する」というニュアンスであり、場所・住居などの話題で用いるのであれば「住みつく・住み慣れる」と訳します。人間関係・文化・習慣などの話題で用いるのであれば「落ちつく・なじむ・慣れる」などと訳します。 い いかが【如何】 副詞形容動詞「いかなり」の連用形「いかに」に係助詞「か」がついて、「いかにか」という連語となり、いずれ「いかが」となりました。このように、「いかが」の「が」は、もともと疑問・反語の係助詞「か」なので、用例も疑問か反語で訳すものが多いです。係り結びの法則がはたらき、文末は「連体形」になります。 いかで【如何で】 副詞「いかに」に「て」がついて「いかにて」となったものが、やがて「いかで」につまったものと考えられています。「いかに」が、状態・性質・方法・原因などを広く問うものであるのに対して、「いかで」は、手段や原因を問うものであり、やや限定的な使い方であると言えます。 いかに【如何に】 副詞・感動詞形容動詞「いかなり」の連用形が、そのまま副詞として定着したものなので、①の用法などは、「形容動詞の連用形」or「副詞」のどちらとも言えない使い方です。「どうやって?」とか「どのように?」と、相手に問う際に使用することが多いことばですから、そのまま独立して「呼びかけのことば」としても用いられました。その場合は、文法上どこへも係っていかないので、「感動詞」として扱います。 いぎたなし【寝汚し】 形容詞(ク活用)「い」は、「眠ること」を意味する名詞で、漢字で書くと「寝(い)」です。名詞の「寝(い)」は、単独で使用されることはなく、「安寝(やすい)」「熟寝(うまい)」という熟語になったり、「寝を寝ず(眠らない)」「寝も寝られず(眠れない)」といったように、慣用句の一部として使用されたりします。 いさ 感動詞・副詞「いさ」は、「いさかひ」の「いさ」と同根であり、相手の発言に対してやや抵抗するような、「わからない」「すんなりは同意しない」「そうではない」といった意志を示すときのことばです。「いさ知らず」というように、「知らず」を伴う表現も多く、その場合は「知らず」を修飾することになるため、「副詞」に分類されます。「不知」という漢字を「イサ」と読んでいる例もありまして、「わからない」という意味がそもそも内包されているようなことばだと言えます。 いさよふ 動詞(ハ行四段活用)「いさよふ」の「いさ」は、抵抗・否定を示す感動詞「いさ」や、「いさかひ」の「いさ」などと同根です。何らかの外部要因を素直には受け入れられないことを示します。「よふ」は、「ただよふ」「さまよふ」などの「よふ」と同根で、ゆらゆらと動揺することを示します。合わせると、心理的抵抗感があって前進するのをためらうことや、自然的物理的要因からなかなか進まないことを意味します。 いたづらなり【徒らなり】 形容動詞(ナリ活用)「そうであるはずだ」という期待に反して、それがないことを意味しています。そのことから、「役に立たない(むだだ)」「何もすることがない(ひまだ)」「何もない(空だ)」といった意味になります。 いちはやし【逸早し】 形容詞(ク活用)古くは、激しくおそれ多い神の力を「イツ」といいまして、「いつくし(厳し)」「いつく(斎く)」「いちしろし(著し)」などの「イツ(イチ)」がそれにあたるとされます。「いちはやし」の「いち」もそれらと同根の接頭語で、「(神の力を思わせるほど)勢いが激しい」という意味合いになります。「はやし」は、もともと「生ゆ(はゆ)」と同根で、「はゆ(映ゆ)」「はやる(逸る)」「はやし(早し)」「はやし(林)」などといった語は、どれも「生命力を持って生き生きとする・勢いよく前に進もうとする」という含みがあります。 いつしか【何時しか】 副詞代名詞「いつ」に、強調の副助詞「し」と、係助詞「か」がついた連語です。そのため、もともとは(1)のように「いつ~だろうか」という疑問文として使用されます。副詞というよりは、連語としての用い方ですね。そのことばを、「『いったいいつ』って思うほどだ」という意味で使用していくうちに、(2)(3)(4)の用法が出てきました。 いで 感動詞・接続詞動詞「出づ(いづ)」の上代での命令形「いで」が、やがて感動詞になったものです。「出なさい」という具体的な意味を持っているわけではなく、「行動しなよ」という感じの「うながし」に使用します。自分自身の行動をうながす場合にも使います。 いと【甚】 副詞形容詞「甚し(いたし)」と同根の語と言われています。「いと」は、形容詞や形容動詞を修飾することが多く、その場合、「状態・性質」がはなはだしいと言っていることになります。一方、形容詞「いたし」の連用形「いたく(いたう)」のほうは、具体的な「動作・作用」のはなはだしさを述べる場合が多いです。この「いたく(いたう)」を副詞と考えることもあり、そうすると「いと」と「いたく(いたう)」は意味的には類義語のような関係になりますね。 いとけなし・いときなし【幼なし】 形容詞(ク活用)「いと」が「幼いこと」を意味しており、「気(け・き)」がその「様子」を意味しています。したがって、「いとき」という表現が、現代語で言うと「おさなげ」という意味を持っていることになります。それに、「はくはなだしくそうである」という意味の接尾語「なし」がついて、「いとけなし・いときなし」という形容詞が成立しました。 いとど 副詞「いと」を2つ重ねた「いといと」がつまった語です。「いと」は「たいそう」と訳します。それが重なることで、程度のはなはだしさがいっそう増すことを意味していると考えましょう。「いっそう」「ますます」などと訳します。 いとほし 形容詞(シク活用)「いやがる」という意味の「厭ふ(いとふ)」が形容詞化したという説が有力です。「不遇な人」を見ることは心が痛みますから、「嫌なこと」ですよね。そのことから、「(見ているのが心苦しくていやになるほど)気の毒だ・かわいそうだ」という意味になります。 いなぶ【否ぶ】 動詞(バ行上二段活用)感動詞「否(いな)」に、動詞をつくる接尾語「ぶ」がついた語です。「相手の要求などに対して否定的な返答をする」ということであり、「断る」「拒む」などと訳します。ひらがなで書かれていることが多いのですが、「否」という漢字さえ思い出せれば、「No!」のニュアンスで訳すことができます。鎌倉時代以降は「いなむ」というかたちに音変化していきました。 いはけなし【稚なし】 形容詞(ク活用)語源はよくわかっていませんが、「言ひ文(あや)けなし」がつまったものではないか、と説明されることがあります。「言ひ」は、「口頭での発言」です。「文(あや)」は、書き言葉であり、「理屈の流れ」などを示すこともあります。その「話し言葉」と「書き言葉」が混ざってしまっているような、理路整然としていない言語活動は、まさに「子どもっぽくて頼りない」ものですよね。 いぶかし【訝し】 形容詞(シク活用)「いぶ」ということばに「はれない(はっきりしない)」という意味合いがありまして、「いぶし」は、それを「気がかり」に思う心情面のことばとして使用されます。「気がかり」であるがゆえに、その内容を確認したい心情として「見たい・聞きたい・知りたい」などと訳すこともあります。また、「疑い」の気持ちが強ければ「不審だ」などと訳します。 いふかひなし【言ふ甲斐無し】 形容詞(ク活用)「言ふ+甲斐+無し」なので、「言う価値がない」「言っても効果がない」という意味になります。表現的には「言っても仕方がない」ということですが、そのくらい「無価値であるさま」を形容していますので、文脈にあわせて、「取るに足りない」「つまらない」など、様々な訳し方をします。 いぶせし 形容詞(ク活用)「いぶ」ということばに「はれない(はっきりしない)」という意味合いがありまして、「いぶせし」は、その「内にこもった鬱屈した状態」を表します。一説には「せし」は「狭し(せし)」ではないかと言われます。そうであれば「いぶせし」は「ふさがっている閉塞感」を示しているといえます。 いまめかし【今めかし】 形容詞(シク活用)「今めかし」は、動詞「今めく」と同根の語です。「~めく」は接尾語で、「~のようになる」「~らしくなる」ということですから、「今めく」というのは、「今風になる」「当世風に振る舞う」といった意味になります。「今めかし」は、その形容詞版です。基本的には、「目新しくてしゃれている」「今風で華やかだ」などと訳します。 いみじ 形容詞(シク活用)「忌み」「忌む」が形容詞化した語です。神聖なものや、忌避すべきものに対する、「並々でない」という意を表します。よい意味でも悪い意味でも使用します。 いやし【賤し・卑し】 形容詞(シク活用)「卑し」または「賤し」と書きます。これらを「いやし」と読むことをつかんでおけば、意味をみちびきやすくなります。基本は「身分が低い」ということですが、人だけではなく、建物などにも使用します。格が低いということから、「みすぼらしい・貧しい・下品だ」といった訳にもなりますので、文脈に応じて訳しましょう。対義語は「貴なり(あてなり)」です。 う う(得) 動詞(ア行下二段活用)「得」は、漢字のとおり、何かを入手することを意味しています。シンプルに「手に入れる」という意味だけではなく、「(知識を)得る」「(能力を)得る」という意味合いで使用されることも多い動詞です。獲得するものが「知識」であれば、「理解する」などと訳し、「能力」であれば、「~できる」とか「得意とする」などと訳します。 うし【憂し】 形容詞(ク活用)「憂鬱」の「憂」のイメージどおりの形容詞です。動詞「倦む(うむ)」と同根のことばと考えられています。思い通りにいかないことに対しての「嫌になってしまっている状態」を示します。訳としては、「つらい・嫌だ」といったように、心情語として訳すことも多いです。 うたて 副詞「転(うたた)」と同根の語です。「うたた」は「状態の変化それ自体」を示すことばですが、「うたて」は、「量や程度の変化」を示しやすく、かつ「その変化を自分の意志で止められない」という気持ちを含んでいるといえます。もとは(1)の意味ですが、その場合にも、「勝手に物事が変化していく」ことを不思議がって使うケースが多いです。その変化が尋常でない場合には(2)のように訳すこともあります。中古になると、そういった現象に「嘆き」の気持ちを含んだ(3)の使い方が主流になってきます。 うたてし 形容詞(ク活用)「転(うたて)」が形容詞になったものです。「転」の意味する「意図や期待に反して、事態が進んでいってしまう状態」に対して、がっかりする気持ちを示します。副詞「うたて」を先に見ておいたほうが理解しやすいと思います。 うち 接頭語接頭語「うち」は、動詞「打つ」から来ていると言われます。もとは、「さっと勢いよく打つ動作」を示しているのですね。実際に何かを打っているのであれば、動詞「打つ」+別の動詞という複合語になりますが、実際に打っているのでない場合、「うつ」は接頭語です。接頭語として他の動詞につくと、副詞的に様々な訳になります。ただし、単に語調を整えるだけの使い方もあるので、訳出しないことも多いです。 うちつけなり【打ち付けなり】 形容動詞(ナリ活用)「付く」に、接頭語「うち」がついたものです。接頭語「うち」は、「パッと」「サッと」「ちょっと」「バシッと」といったように、「瞬間的」「軽妙」「軽快」「明瞭」などの意味合いを内包しています。そのことから「うちつく」は、「パッとつける」「サッとつける」というニュアンスで、まずは(1)のように「突然だ」「急だ」という意味で用います。 うつろふ【移ろふ】 動詞(ハ行四段活用)「移る」に、継続(反復)の意味を持つ「ふ」がついて一語化したものです。「移る」が単純に「位置が変わること」「移動すること」を意味していることに対して、「うつろふ」は、時間の経過に伴って、徐々に変化していくことに使用されやすいですね。 え え(~打消表現) 副詞動詞「得(う)」の連用形「え」が副詞化したものです。「得」は「手に入れる」ということですから、「やりかたをつかんでいる」とか、「ほしいままにする」というような意味合いになります。もともとは「うまくできる」という意味で用いられましたが、平安時代には下に打消表現を伴う用法だけになっていき、もっぱら「できない」の意味で用いられました。 えうなし【要無し】 形容詞(ク活用)「要(えう)」が「無し」ということで、文字通り「必要がない」という意味になります。 お おいらかなり 形容動詞(ナリ活用)「老い」からきていると言われる形容動詞です。一般的に、老いた者(年齢を重ねた大人)のほうが活動が平坦ですので、「穏やかだ」「おっとりしている」などと訳します。 おきつ【掟つ】 動詞(タ行下二段活用)「おきつ」の「おき」は、「置く」と同根と言われています。「これからしようとすることを心の中に置く」というイメージであり、実際、「おもひおきつ」「おぼしおきつ」のかたちで使われることが多いです。 おこす【遣す】 動詞(サ行下二段活用/サ行四段活用)同じ漢字を用いる「遣る(やる)」とセットで覚えておきましょう。「遣る(やる)」が「こちらから向こうへ物や人を送ること」であるのに対して、「遣す(おこす)」は「向こうからこちらへ物や人を送ってくること」です。「おこす」は、音変化して「よこす」になっていきました。 おこたる【怠る】 動詞(ラ行四段活用)「おこ(行動、行い)」が、「垂る」ということで、「途中で勢いが弱まる」とか、「進行が止まる」といったニュアンスになります。現代語と同様に、「なまける」という意味もありますが、試験では、「病気が治る」という意味が重要です。「病魔の勢いが停滞する」というイメージでとらえておきたい動詞です。 おとなし【大人し】 形容詞(シク活用)「おとなし」は「大人し」です。文字通り「大人びている」「大人っぽい」ということですので、漢字のイメージを持っておくことが重要です。 おとなふ【音なふ・訪ふ】 動詞(ハ行四段活用)「音」に接尾語「なふ」がついて一語化したものです。「なふ」は、その動作や行為をするということで、「音なふ」の場合は「音を出す」ということになります。誰かを訪問するときは、音を立てて来訪を知らせますので、平安時代には、そのまま「訪問する」という意味でも用いられました。 おどろおどろし 形容詞(シク活用)動詞「おどろく」と同根の語です。「おどろ」はもともと擬音語で、雷の音を示していたようですね。 おのづから【自ら】 副詞「己(おの)」+上代の助詞「つ」+「柄(から)」です。「おの」は、「自分」という意味になることもありますが、根本的には「それ自体」ということです。「つ」は、体言と体言を結んで「の」のはたらきをすることばで、現代語でも「目まつ毛」などに残っていますね。「から」は、「理由」「経緯」「出発点」などを示す語です。あわせると、「それ自体の成り行きで」というような意味であり、端的に訳すと「自然と」「ひとりでに」ということになります。 おはさうず【御座さうず】 動詞(サ行変格活用) / おはさふ【御座さふ】 動詞(サ行四段活用)尊敬語「おはす」に「あふ」がついた「あはしあふ」が「おはさふ」になったと言われています。訳語自体は「おはす」と同じでOKですが、「あふ」が複数の人間を主語に持ちやすい動詞であることから、「おはさふ」も複数の人間を主語に持ちやすいです。 おはします【御座します】 動詞(サ行四段活用)上代によく使われていた尊敬語「坐ます」を重ねると「坐まします」になります。さらに敬意を足すと「大坐おほまします」となり、これがやがて「おはします」になりました。ここから「ます」が落ちたのが「おはす」と考えられています。先に「おほます」から「おはす」ができて、そこに「ます」がついて「おはします」になったという説もあります。 おはす【御座す】 動詞(サ行変格活用)「あり」「をり」などの尊敬表現として、「坐ます」という尊敬語があります。これを重ねると、「坐まします」になります。 おぼえ【覚え】 名詞動詞「おぼゆ」が名詞化したものです。「おぼゆ」は、「思ふ」+上代の助動詞「ゆ」であり、「ゆ」は「自発」や「受身」を意味します。(1)(2)は、受身的なニュアンスですね。(1)「世間から思われること」であり、(2)は「非常に高い身分の人から思われること」を意味します。(3)(4)(5)は、自発的なニュアンスですね。(5)は、能力や腕前などの話題において「おぼえあり」などと言う場合の訳し方です。 おほけなし 形容詞(ク活用)語源は未詳ですが、「大気(おほけ)」に、「はなはだしくそうである」ことを意味する接尾語「なし」がついて「おほけなし」になったとする説があります。「大それている」というようなニュアンスで「身のほど知らずだ・身分不相応だ」などと訳すことが多いです。 おぼしめす【思し召す】 動詞(サ行四段活用)尊敬語「おぼす」に尊敬語「めす」がついたものです。「おぼす」は「思ふ」の尊敬語で「お思いになる」ということです。「めす」は「呼ぶ」などの尊敬語ですが、ここでは「敬意」を一段階高めるためにつけているような構造ですので、訳出しなくて大丈夫です。したがって、訳としては「おぼす」と同じように「お思いになる」とすればOKです。「おぼす」よりも敬意が高く、基本的には「天皇・中宮・上皇・皇太子」など最高ランクの人の行為に用いる動詞です。 おほす【仰す】 動詞(サ行下二段活用)動詞「負ふ(おふ)」に、使役の助動詞「す」がついて、「おほす」となりました。そのため、根本的な意味は「(責任・任務・使命などを)背負わせる」ということであり、「命じる」「言いつける」などと訳します。もともとは敬語ではありませんが、通常、「責任・任務・使命」などを与える側の人間のほうが偉いので、実質的には上下関係を成立させる動詞になります。そのことから、次第に敬語のように扱われていきました。 おぼす【思す】 動詞(サ行四段活用)動詞「おもふ」に、上代の尊敬の助動詞「す」がついて、「おもはす」となったものが、「おもほす」「おぼほす」「おぼす」と変化しつつ一語化しました。成り立ちのとおり、「思ふ」の尊敬表現であり、「お思いになる」と訳します。 おほどかなり 形容動詞(ナリ活用)「おほどかなり」は、「おおらかな様子」を示すほめ言葉です。「おほどく」という動詞もありまして、それも「おおらかさをそなえる」という意味になります。「おいらかなり」と意味が似ていますが、「おいらかなり」のほうは、「不必要に波風を立てない」という「平静さ」のニュアンスを持つのに対し、「おほどかなり」は、多少の波風があっても受け入れられるような「器の広さ」を示しています。 おほとのごもる【大殿籠る】 動詞(ラ行四段活用)「大殿」は「宮殿」を指しまして、特にその寝所を意味することが多いです。したがって、「大殿籠る」は「天皇が寝所におこもりになる」ということになります。訳は「お休みになる」で大丈夫です。 おぼつかなし【覚束なし】 形容詞(ク活用)「おぼ」は、「おぼろなり」「おぼめく」「朧月夜」などの「おぼ」と同じで、「ぼんやりしている・はっきりしない」ということを示しています。そこに、状態を示す「つか」と、「はなはだしくそういう状態である」という意味の「なし」がついて、一語の形容詞になっています。「ふつつか」などの「つか」、「しどけなし」などの「なし」と同じですね。 おぼゆ【覚ゆ】 動詞(ヤ行下二段活用)動詞「おもふ」に上代の助動詞「ゆ」がついて、「おもはゆ」になり、「おもほゆ」を経て「おぼゆ」と一語化したものです。「ゆ」は「自発・受身」の意味がありましたが、平安時代には動詞の一部に残っただけで、助動詞としてはなくなりました。代わりに用いられたのが「る」です。そのことから、「おぼゆ」は、「おもふ」に「自発」「受身」のニュアンスを付け加えて理解するとよいとされます。とはいえ、肯定文の場合、ほとんどは「自発」の意味で、「思われる」と訳せばよいケースが多いです。否定文の場合、「思い出せない」といったように、「可能」の意味合いが含まれることがありますが、多くはありません。 おぼろけなり【朧けなり】 形容動詞(ナリ活用)「朧(おぼろ)」という語がありまして、これは「ぼんやりしている・かすんでいてはっきりしない」ということです。「おぼろけなり」は「朧」の「気(雰囲気・気配)」があるということですから、事実としてかすんでぼんやりしているわけではなくとも、雰囲気的にはかすんでぼんやりしている状態を意味しています。「オーラが際立っていない」ということですから、「普通だ」「並大抵だ」と訳すことになりますね。 おもしろし【面白し】 形容詞(ク活用)「面(おも)」は「正面・面前」のことであり、「白(しろ)」は「ぱっと明るい状態」を意味します。つまり、「目の前のことがパアーっと明るく見える」ということであり、もともとは「すばらしい景色」を形容することによく使用されました。平安時代には、景色だけでなく、音楽や芸術などにも広く用いられました。 おゆ【老ゆ】 動詞(ヤ行上二段活用)「おゆ」の「お」は、「親」の「お」と同根であると言われています。つまり「親世代(一世代上の存在)」になることが「おゆ」なのですね。「老ゆ」の類義語として「年をとる」と訳す語に「ねぶ」がありますが、「ねぶ」のほうは「少年が青年になる」という文脈でも用いますし、「実際の年齢よりも大人びる・ませる」という意味でも用います。つまり、「ねぶ」はシンプルに「年を重ねる」ということです。その一方「老ゆ」は、「活躍世代よりも一段階上の世代に属すること」を意味します。ところで、ヤ行上二段活用の動詞は「老ゆ(おゆ)」「悔ゆ(くゆ)」「報ゆ(むくゆ)」の三語ですので、覚えてしまいましょう。 おろかなり【疎かなり】 形容動詞(ナリ活用)「疎かなり」という漢字を覚えてしまいましょう。意味もそのまま「おろそかだ」となります。物事が「密」の状態ではなく、スカスカの状態を表しています。